酔いどれ日記 2007年12月

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12月30日(日)大掃除

今日は一日中大掃除を頑張りましたぁ~!現在は部屋も綺麗さっぱり♪綺麗な部屋は気分もいいもんですね♪明日は東京から弟夫婦とたっくんが帰省しま~す!明日の午前中は青色申告の書類作成(決算の仕事)をして、午後からは家族揃って正月モードに入りま~す!正月用のお酒も購入してきました。母はたっくん用のおもつを購入しました。

本日は私も母も大掃除で疲れ果てました。明日からゆっくり過ごしたいと思います。正月はお天気が悪いようです。山へ行かれる方は充分気をつけて下さいね!このHPを見て下さった皆さん、そしてスクールの生徒の皆さん、今年一年、ありがとうございました。年明けは4日より通常営業いたします。来年もよろしくお願いいたします。皆さん、良いお年を♪(*^_^*)


12月29日(土)100円札とクライミング

本日は私の会社「むげん」の仕事納めでした。つい先ほど、今年最後の授業が終わり、現在軽く一杯やっておりま~す♪年始は4日より開校いたしますので、よろしくお願いいたします。明日は大掃除、頑張りま~す!大晦日に東京から弟夫婦が帰省しますしね、綺麗にしておかなくっちゃ!それと、たっくんに会うのも楽しみです♪

母は一日中掃除を頑張っていたようです。現在「疲れたぁ~!」を連発しています。普段片付けをしないから、そのツケが年末に来るのでしょうね。母が大掃除していたところ、父の遺品の中からなんと板垣退助の100円札が出てきたんですよぉ~!100円札を見るの、私が子供の頃(小学生低学年)以来のことでした。母はおもちゃのお金だと思ってゴミ箱の中に捨ててあったのを私が発見したのです。

「100円札、懐かしいなぁ~!」 子供の頃、100円って、とても大金に思えたものです。パンやアイスクリームが10円で買えた時代ですから。20円でおまけ付きのキャラメルが買えて、ソレ欲しかったんですよねぇ~。100円札、その当時の感覚としては、今の1万円札くらいの価値に思えたのかもしれません。「これは貴重かも?果たして現在の価値は?」と興味を持ちました。

古銭流通商が使用している「貨幣便覧」という本があって、年式と状態によって取引価格の「相場」が決まるとか…。この100円札、美品(痛みの少ないもの)で200円位の流通価格しかないようです。ガ~ン!ちょっとショックでした。流通量が非常に多いので骨董的価値が殆どないとのこと。ネットによれば、板垣100円札は今でも額面通貨として使用可能らしいですが、大事に取っておこうと思います。この板垣100円札、「酔いどれ画像掲示板」に写真を貼っておきましたので…。

話し変わって…本日仕事の合間を見て仲間達とクライミングをして参りました。今年最後のクライミングの練習です(上の写真がそうで、登っているのは私です)。この数ヶ月、毎週通っています。徐々に筋力も付いてきて登れなかったルートも登れるようになってきました。でも、やっぱ、まだまだだなぁ~!傾斜120度くらいならまだ楽なのですが、130度以上になると体の重さを痛感します。もっと体重を落とさなくっちゃ~!と思いつつ、正月で体重が増えてしまいそう…(^^ゞ。

PS 「山の扉」の「岩手の山々」に先日行った釜石の片羽山・雄岳をアップし写真を37枚公開いたしました。ご興味のある方はご覧下さいね。

『酔いどれ画像掲示板』 懐かしき板垣退助の100円札 今すぐ見たい方はクリック!
『山の扉』 片羽山・雄岳 今すぐ見たい方はクリック!


12月28日(金)遠野産の馬刺し サンQ

ここ岩手の歴史は馬と共にある!といっても過言ではないと思います。「チャグチャグ馬っこ」などの馬のお祭りもあるくらいですもの。中でも遠野市は馬の産地として有名です。遠野の人たちは馬を愛し、馬とともに生活しようと、馬文化を活かした地域の活性化を図ろうと取り組んでいるようです。

昨日、片羽山・雄岳を登った帰りに、遠野市宮守町(R396沿い)にある産直「サンQ・ふる郷市場」に寄ってみました。その前日、生徒さんから「ここの馬刺しは有名でとっても美味しいのよ!それに安いし♪」というお話を聞いていたのです。さっそく帰りに立ち寄って、今晩のおつまみ用に馬刺しをお土産に買って帰りました。だって馬刺し、大好きなんですもの♪これで546円で~す!

なぜ遠野産の馬肉が美味しいのか?ホームページによると…「遠野産の飼料を多く使い健康的に育てることに主眼を置いています。商品は生肉にこだわり提供。冷凍ものではない新鮮で柔らかなお肉を提供しています。」とのこと。

また「馬肉は、脂肪分が溶解性に富み、体内に蓄積しにくいヘルシーな食材です。馬刺しとしてだけでなく、焼肉、鍋用、味付け(スジ煮込み・カルビ焼き・ホルモン)等様々な料理としておいしく食べることができます。」とも書いてありました。

サンQふる郷市場は、旧宮守村時代から、馬を使って遠野郷を盛り上げようというコンセプトを中心に国道396線を通る人々にアピールを続けて来たようです。ここは産直の販売だけでなく、食堂も併設されています。人気なのが馬肉を使ったメニューの数々♪とろりと舌の上でとろける「馬刺し定食(1000円)」や、大人気の「桜カルビ丼(750円)」は、お勧めのようです!そうそう「馬力ラーメン」っていうメニューもありましたっけ。

上の写真調理法方?は、生徒のTさんのブログ、「おかんのブログ」の中の「手抜き料理レシピ」を見ながら私が作ったものです。ネギが我が家になくって玉ねぎで作ってみたのですが、やはり馬刺しにはネギの方が合うようです。もちろん、この馬刺しは産直「サンQ」で買ったものですよん♪旨かったぁぁぁ~!(*^_^*) サンQふる郷市場の場所は、遠野市宮守町上宮守15-123。定休日は火曜日。「酔いどれ画像掲示板」にも写真を掲載いたしましたし、Tさんの「手抜き料理レシピ」をご覧になりたい方は、以下をクリック(数日前にブログを開設したばかりです)!

『酔いどれ画像掲示板』 遠野産の馬刺し 今すぐ見たい方はクリック!
『おかんのブログ』 手抜き料理レシピ 今すぐ見たい方はクリック!


12月27日(木)釜石、片羽山・雄岳

本日は仕事の予定だったのですが、急遽生徒さんの予定が変更になり、かつ、お天気もい~い♪週間予報によれば、お天気がいいのは今日までで、明日から年末年始にかけて悪天が続く様子…。「晴天の中、登れるのは今日が今年で最後か!今年最後のチャンス!」と思い、思い切って仕事を休み念願の?片羽山・雄岳に行くことに致しました。これも神様の思し召しか…。

実はこの山、今年の2月に敗退しているだけに、今年中になんとしても山頂に立ちたかったのです。今回は完全な雪山装備で挑みました。前回は、ラッセルと強風、そして軽装備(長靴)の為、山頂まで標高差300M残して敗退!最終判断は、足の指が凍傷寸前に陥り敗退を決定した次第です。沿岸の山を甘く見ていた報いだと反省した次第です。

よって、今回はプラブツーツにアイゼン、ピッケル、ストック、スノーシューなど厳冬期のアルプス並みの完全装備で挑みました(結局アイゼン、ピッケル、スノーシューは使わず…)。本日はお天気も良く、「これなら行ける!楽勝♪」と確信致しました。

今朝は4時半に起床、5時に出発!よく起きれたなぁ~!って感心しています。途中道路の温度計(遠野では氷点下9度)を見て、ビックリ!今朝はかなり冷え込んだようです。今年の2月に行った時は、道路の状態が悪く(凍結)、登山口まで3時間近くかかりましたが、本日は我が家から1時間45分で登山口に到着!7時ちょい過ぎには登り始めることが出来ました。

今の時期は先手必勝ですものね!登るにつれて太陽も昇ってきて、美しい白銀の世界を見せてくれました。明日からお天気は崩れるようで、今日が今年最後のチャンス!なんとしてもリベンジしたいものです。最初は雪も少なく順調でしたが、7合目から先がきつかったぁ~!急登が続き雪も次第に深くなり重労働でした。でも、3日前に赤林山を登っていたせいか体は楽でした。

登り始めて2時間45分、山頂に立つことが出来ました♪ラッセルを考慮し、登りで5時間みていたのですが、思いのほか早く到着!今回も単独です。充実感に浸りながら360度の大パノラマを堪能しました♪海も見えて大感動!山頂に到着すると同時に曇り始めました。前回の赤林山同様、今回も大自然のプレゼントなのかな?下りはあっという間でした。帰りはR396沿いの遠野市宮守町の産直「さんきゅう」で名物の馬刺しを購入し、それをつまみに現在一杯やっております(*^_^*)。何はともあれ、楽しい一日でした♪本日撮影した写真を12枚、「酔いどれ画像掲示板」に掲載いたしました。ご興味のある方はご覧下さいね♪

『酔いどれ画像掲示板』 片羽山・雄岳 今すぐ見たい方はクリック!


12月26日(水)いい天気♪

いやぁ~!ここ盛岡は本日は晴天なり♪久しぶりに雲一つない素晴らしい快晴で、岩手山をクッキリと望むことが出来ました。「こんなに日に山を登れたらなぁ~!」って指をくわえて青空を見入っていた次第です。でも、本日も当然ながら仕事…。この晴天、週末に欲しいものです。

週間天気予報によれば、今週末はお天気が悪いようで…。ガ~ン、ショック~!今年のお正月は、たっくんとの初対面!楽しみで~す♪あぁぁぁ~正月前に思いっきり山を登りたいなぁ~!今年の山納めはどこにしようかな?行きたいところ、イッパイで~す!

私が山登りにのめりこんだ一番のきっかけは、やはりこの「達成感」と「充実感」なのだと思います。例え登頂できなかった時でも、自分の力を出し切れたときは、ほんと嬉しいものです。『真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意と絶望が隣り合わせに存在している。』村上 龍(作家)

山の世界って、まさにこの名言があてはまるように思います。私自身、雪山で、沢登りで、岩登りで何度危険な目に合い敗退したことか…。山で死にそうになったことも何度かあります。でも、こうして生きている…。山で悪戦苦闘している時「生の実感」が湧いてきます。「生きてるんだなぁ~!」って。ちょっと大げさかな…?そして、無事下山できた時は、充実感に包まれ幸せな気持ちに浸れるんです。生きてるって、ホント素晴らし~い!とさえ思えます。これって、危ない世界かもしれませんが…。山屋なら皆さん、きっと同じ気持ちなのかもしれませんね。

仕事でも同じことが言えるように思います。NHKの「プロジェクトX」は、まさにそうで私の大好きな番組でした。ある偉人は、次のように言っています。「全ての人間はふたつに分けられる。それは、やりとげる者と、あきらめる者だ」と。以下、二つほど名言をご紹介いたします。

『練習は精神的にも肉体的にもきつい。
ただ目標を達成できたときの充実感、達成感、喜びはすごい。』
野口みずき(アテネ五輪女子マラソン金メダリスト)

『楽しいと思う方法で毎日トレーニングせよ。
ベストを尽くせば誇りに思える。
自分にとってのオリンピックで「達成感」という金メダルを勝ち取ろう。』
カール・ルイス(アスリート)


12月25日(火)人として…

この数年、世間では信じられないような事件が多発しているように思います。極悪非道な犯罪、社会保険庁の問題、薬害問題、自殺、いじめ、振り込め詐欺などなど。「世の中どうなってしまったのだろう?」って思うのは私だけではないと思います。人としての良心はどこへいってしまったのでしょうか?

私が子供の頃は、学校の授業の中に「道徳の時間」というのがあって、先生が「いいことと、悪いこと」を教えてくれました。今の学校教育ではそのような授業が行われていないところも多いと聞きます。理科や算数も大切ですが、人生生きていく中でこの「道徳」というのがとても大切に思えるのは、私だけはないと思います。

以前、京セラやKDDIの創業者、稲盛和夫著の『生き方』を読んだことがあります。とても感銘を受けた一冊です。正しく生きるって、決して難しいことではないと思うのです。極々人として当たり前のことをするだけ。以下、稲盛氏のその書物から一部をご紹介させていただきます。

『人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。人間が生まれ持っている「性格」と、その後の人生を歩む過程で身につけていく「哲学」の両方から、人格が成り立っている。したがって、どのような哲学に基いて人生を歩んでいるかによって、その人の人格が決まってくる。哲学という根っこをしっかりと張らなければ、人格という木の幹を太く、真っ直ぐに成長させることが出来ないのです。

では、どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、人類古来培ってきた倫理、道徳ということになるでしょう。京セラは、私が27歳の時に周囲の方々につくっていただいた会社ですが、私は経営の素人で、その知識も経験もないため、どうすれば経営というものが上手くいくのか、皆目見当がつきませんでした。困り果てた私は、とにかく人間として正しいままに貫いていこうと心に決めました。

すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えない、などなど、誰もが子供の頃、親や先生から教わった(そして大人になると忘れてしまう)単純な規範を、そのまま経営の指針に据え、守るべき判断基準にしたのです。経営について無知だったこともありますが、一般に広く浸透しているモラルや道徳に反することをして、上手くいくことなど一つもあるはずがないという、これまた単純な確信があったからです。

それは、とてもシンプルな基準でしたが、それゆえ筋の通った原理であり、それに沿って経営をしていくことで迷いなく正しい道を歩むことが出来、事業を成功へと導くことが私の成功に理由を求めるとすれば、たったそれだけのことかもしれません。つまに私には、才能は不足していたかもしれないが、人間として正しいことを追求するという、単純な、しかし力強い指針があったということです。』

船場吉兆や赤福などの賞味期限偽造問題は、まさに利益を優先するあまり「人として正しいこと」を忘れたゆえの事件だったのではないでしょうか。松下幸之助氏はその著書の中で次のように述べています。『会社は個人のものではない、わし一人のものでもなければ、社員一人ひとりにとっても個人のものではない。公のものである、と、そういうことを言ってきた。我々自身だけの為に経営しているのではない、社会の人々の為、社会の発展の為、人々の幸せの為に仕事をするんです、とそういうことをみんなに話してきたんや。一方、社会に対して責任を持たない会社、自分のところだけ儲けたらそれでいいという会社は、社会に害を流す。そんな会社が発展するはずがない。』と。このような時代だからこそ、人としての原点に立ち返りたいものですね。


12月24日(月)思わぬ
クリスマス・プレゼント♪

巷は三連休!22日(土)は仕事、23日(日)も仕事にまい進していた私…。せめてイヴの24日(祝)くらは仕事を休もうと決心しました。このところ、丸一日仕事を休んだ日がないような…日曜日でも午後や夕方に突発的な仕事が入ることが多く(年賀状シーズンですし)、この一ヶ月間、時間制限付きの登山ばかり…。「○時までには下山しないと…」と思うと、なかなか遠方の山へ行けませんし、時間が気になって思う存分山を堪能しにくいし…。

久しぶりに丸一日仕事が休みになった本日、しかし、お天気は生憎の雨…くぅぅぅ~!本当は遠方の山へ行って思いっきり気分転換したかったのですが…。朝起きたときは、小雨が降っていました。「あぁぁ~このお天気じゃ…どこへ行こうかな?」と思案した結果、近場の山、矢巾の赤林山へ行くことにしました。今回も単独です。この赤林山、過去何度も登っていますが、私のお気に入りなんですよ♪その理由は…

①我が家から近い(登山口まで車で25分) ②冬でも林道歩きがなく、いきなり山登りが出来る ③ルートは顕著な尾根をなしており、悪天でも現在地点の把握が容易。また、起伏が激しく縦走気分を満喫できる ③厳冬期は登山者が皆無に等しく、ラッセルを楽しめる上、急登が続き良い体力トレーニングになる ④山頂からの展望はなく、悪天でも気にならない ⑤下山後、直ぐに矢巾温泉に入浴できる、などなど。

今朝は雨が降っており、小康状態になった10時頃に我が家を出ました。ここ岩手の魅力はなんと言っても身近なところに山がある!ということではないでしょうか!だって、朝寝坊したって山登りを楽しむことが出来るんですもの♪途中食料の買出しをしたりして山を登り始めたのが10時45分でした。この赤林山、最近人が登っていないのか?トレース(踏み跡)がまったくありませんでした。「今日は思いっきりラッセルできるぞぉ~♪」とワクワクする私。ワカンを持参していがったぁ~!

登り始めは小雨状態でお天気はいまいち、どんどん登るに連れて、雪も深くなりやがて膝までもぐる始末…。でも、今日は時間の制限がないので気持ちも楽チン♪しかしまぁ~歩けど歩けどなかなか山頂にたどり着かな~い!赤林山の山頂って、こんなに遠かったかなぁ~?と思いながら一人黙々とラッセルに励みました。「そういえば、今日はクリスマス・イヴだったよなぁ…イブに山を登る人もいないだろうし…」。でもね、私は思いっきり山を登れる喜びに酔いしれていたんですよ♪

お天気も悪く黙々と登るしかなかったのですが、山頂直下で奇跡が!なんと、あれほど曇っていた空が、急速に雲が流れ始めたのです!そして眩しいほどの日差しが♪灰色の世界がお日様の力によって青とシルバーの世界に変身したのです!いやぁ~そりゃもう、言葉に言い表せないほどの神々しい風景になったのです♪まるで夢の世界を見ているような…今にも木々の間から妖精が出てきそうな…息が止まりそうになるほど、魅せられました。8分程度の僅かな時間でしたが、時間が止まったような錯覚に陥ったほどです。

このところ色々と辛いことがあったので余計そう見えたのかもしれません。しかし、私には神様からのクリスマスプレゼントに思えてしまったのです。まさに大自然からのプレゼント♪その8分の間に山頂に到着し、それと同時に日が翳りました。絶妙なグッド・タイミング!まるで大自然が「頑張れ!」と応援してくれているような…私にとっては何よりのクリスマス・プレゼントでした。そして、下山後帰宅途中にこれまた素晴らしい虹が…♪帰りはスーパーに寄って母へクリスマスプレゼントを買っていきました。高くもないお寿司ですが、母はたいそう喜んでくれました♪(*^_^*) 本日撮影した写真を11枚、「酔いどれ画像掲示板」に掲載いたしました。ご興味のある方はご覧下さいね。

『酔いどれ画像掲示板』 赤林山・大自然からのプレゼント♪ 今すぐ見たい方はクリック!


12月22日(土)ある女性の夢 その2

さて、昨日の日記の続きです。愛馬のダイちゃんとある女性の感動的なお話、いよいよフィナーレです。いわて起業家大学の福島正伸先生のブログ「夢しか実現しない」より本日も抜粋させていただきます。この感動的なお話を一人でも多くの方にお伝えしたくて…。「思いは叶う!」「夢しか実現しない!」って本当なんだなぁ~!って思った次第です。ではでは、昨日のお手紙の続きで~す!

ある知人に、今回のことを相談しました。洗いざらい全部話しました。その知人は、普段から特別親しいという訳ではありませんでしたが、私の中での彼女の存在が、少し特別なところにあったので、この人に話してみようと思い立ったのです。彼女は自分ひとりで事業を始めたばかりの獣医さんでした。小さなプレハブを診療所がわりにして文字通り、体を張って頑張っている、凛とした方でした。

きっとこの人なら、他の人と違うことを言ってくれるに違いない、私はそう思い、私の背中を押してくれるようなそんな言葉を求めて会いに行きました。その獣医さんは言いました。「その一途な思いを貫いてごらん。あなたがこんなに本気だということを、周囲にもっと伝えなきゃ。頑固になって、わからず屋になって、駄々っ子みたいになるのも、いいんっじゃない?本気なんでしょ、決めてるんでしょ、もうそれしかないでしょ。そうした場合、対外相手はそんなあなたに飽きれて、そして次に諦めるから・‥。私は本気なんだということを相手が飽きれて諦めるまで伝えてみるというのも、ひとつだと思うよ。」

私には、何にも変えられない励ましのメッセージでした。そうか、私の武器は、この「思い」だけなんだと気づかされました。よし、この気持ちでひとり戦い続けようと決め、御礼を言って、一路車を飛ばしました。運転している私は、妙に穏やかな気持ちになっていくのを感じました。翌朝、上司に自分の思いを再度伝えました。 一時の感情で言っているのではないということ、私なりにきちんと決意があるということ、会社の提示している金額は持ち合わせていないけど、その提示金額の五分の一なら用意できる、馬を手に入れた後の具体的なことは何も決まってないけど、必ず何か方法を探す、私に内密に話を進め、馬の行き先を決めたり、処分場へやったりしても、私は追跡して探し出し、連れ戻すつもりだ。第三者に会社の希望額で売ったとしても、私はその相手から買い戻すつもりだ。お金はサラ金でも何でも貸してくれるところはいっばいあるんだ、と。

直属の上司は、ただでさえ残務処理に追われていて頭が痛い毎日だというのに、よりによって、こんな部下がいる訳ですから、さぞ大変だった事でしょう。でも、彼もー緒に馬の仕事をしてきたのだから、私の気持ちは痛いほどわかるんです。彼は大学生のとき馬術部にも在籍していたし、愛着のある馬と別れるのは、どんなにか身を切られる思いをするか、というものちゃんと知っている方でした。彼はそんな私に飽きれて、部長にこの件を預けました。私は同じ態度を取り続けました。冷静になるべく穏やかな口調で気持ちを伝えました。とうとう取締役が登場しました。応接用の部屋に通され、困りきった表情を浮かべてこちらを見ていました。まるで蛇に睨まれたカエルです。でも怯んでなんかいる場合ではありません。

私は本気なんだということを、わかってもうらおうと必死でした。しばらく話は平行線でした。向こうは、ため息ばかりついています。ため息つきたいのは、むしろこちらの方です。細い一本の糸がなんとか私を支えていました。「私が会社の提示している金額を持ち合わせてさえいれば、今すぐ売ってくれますか?そういう事であれば、この足でサラ金からお金を調達してきます。親にも相談しましたが、協力はしてもらえませんでした。誰に話してもダメです。だからこの足で、サラ金に行って耳そろえて全額用意してきます。その方法しか思つきません。そしたら売ってくれますか?」

「いや、そう言うことを言っているんじゃない。あなたの人生はどうなるんだ、大きな馬を引き取ったって、飼う場所も無ければ、世話する人もいないだろう。大きな足手まといになるだろう?」「何を言っているんですか?ダイちゃんがいない人生の方が、よっぽど考えられません。農家のどっか空いている納屋でも見つけて、何とかそこで飼わせてもらって、私が朝晩世話しに通います」「何馬鹿なことを言って…」「私にしたら、他人の手に渡ってしまったり、処分される事の方が、よっぽど馬鹿な話です。」私を支えていた一本の細い糸が、とうとう切れてしまいました。涙が溢れ、止まらなくなりました。憤りも悲しみも悔しさも孤独感も全て、こみ上げてきました。

「もう泣くな、君の気持ちはよくわかった。少し時間をくれ」疲れきって、職場に戻りました。他の先輩スタッフは、完全に私の応援団になっていました。最初は色々説得を試みようとしてくる人もいましたが、その時はもう完全に応援の姿勢でした。もうやることはやったのだ…次はどうしようか考えなくてはと思いつつ、何も考えられない状況にありました。「心ここにあらず」とはよく言ったもので、そんな状態で四、五日ぐらいたった頃、部長から連絡を受けました。色々相談の結果、私が用意できると言った五分の一の値段で、ダイちゃんを売るとのことでした。最初ピンときませんでしたが、じわりじわりと喜びがこみあげ、その時ばかりは神様の存在を意識し、感謝したのを覚えています。

先輩スタッフもー緒に喜んでくれ、私の使命が果たせた嬉しさでいっぱいでした。早速、獣医さんに連絡をいれ、結果の報告とお礼を伝えました。「あたしは何もしてないわよ、あなたが全部やったのよ。」と相変わらずクールでしたが、「あたしの知り合いに、ダイちゃんを置いてもらえそうなところがないか、数件あたってみるね」と言ってくださり、お礼を伝えても、伝えても、伝えきれない程でした。問題は山積みで、一難去ってまた?難、という状況でしたが、その時の私は「きっと何とかなる」「必ずうまくいく」と信じるしかなく、根拠の無い、幸せな未来を想像して進んでいくしかなかったように思います。いつか、どこかでまたダイちゃんと馬車営業して、皆に喜んでもらうぞっ!全ては今始まったばかりだ、と感じていました。

諸手続きを済ませ、正式に私のものになりました。上司や会社の決断に深く感謝しました。いよいよ今日は、旅立ちの日。しばらくの間、離れ離れになるけど、すぐ迎えに行くということ、必ず馬車営業をするということを、心の奥深くに誓い、安比高原から新天地に移動するための、トラックに乗ったダイちゃんの後姿を、複雑な心境で見つめていました。最後トラックが出発したとき、ダイちゃんの大きな噺きが聞こえました。「わかってる、わかってる…。待っててね」そして一年後、私はダイちゃんのいる、小岩井農場へ転職しました。仕事内容は、馬とは関連の無いことだったのですが、同じ敷地にいるためすぐ会いに行けるということだけで充分でした。あれから五年、色々と寄り道をしてきたけれど、ウエディング馬車パレードという夢に向けて、準備していきたいと思っています。

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この手紙を読み終えるまでに、八丸さんは、何度も声がつまり、頬を伝った涙がぽたぽたと落ちました。発表が終わるとすぐに、会場の中で警察官の中本さんが手を上げました。会場全体が、急に緊張感に包まれました。中本さんは、立ち上がって、太く、大きな声で言いました。「八丸さん、お伝えしたいことがあります。実は、私は来月から警察署長になります。県北の地域が管轄ですが、私の所管内であれば、私が許可しましょう。年2回行なう今年の交通安全パレードでは、先頭をダイちゃんの馬車に御願いしたい。そうすれば、みんなに知ってもらうことができる。それをマスコミに取り上げてもらえば、次の機会につながるかもしれないでしょう。どうですか?引き受けてもらうことはできませんか?」

止まらぬ涙を拭きながら、八丸さんは答えました。「えっ…ホントですか…」「みんなにダイちゃんを見せてあげてください」「…ホントにいいんですか?」「是非やりましょう!」「ううう…・うううう…・」八丸さんは返事もできずに、ただうれしさのあまり、泣き続けました。会場中からも、嗚咽する声が聞こえました。後に、中本さんの絶大な支援の下、この日のために練習を重ねてきたという地元の小学生たち70人の鼓笛隊とともにダイちゃんは誇らしげにパレードを先導し、地元のマスコミにその勇姿は取り上げられました。

その直後、隣町にあるリゾートホテルから、連絡がありました。「たまたま新聞を見たよ。以前手書きのパンフレットを送ってもらったけど、その時はわからなかった。すばらしいね。ウエディング馬車について、一度相談させてもらえないだろうか?」ホテルの責任者からの連絡でした。こうして、とうとう八丸さんの夢であるウエディング馬車が実現することになりました。ただ、パレードというわけではなく、リゾートホテルの敷地内を散策する程度でしたが、それでも八丸さんにとっては、夢が実現したことに変わりはありませんでした。

同時に牧場用地も見つかり、いよいよ牧場作りもスタートしました。日中は、ご主人とふたりで一緒に、当時荒地だった農地を手作業で開墾整備していきました。少しずつでしたが、ダイちゃんの仕事も増えていきました。しかし、ダイちゃんを養い、生活するためには、まだまだ、まったく仕事量が足りません。他に何があるのだろうか、八丸さんはまた、新たな悩みに苦しむことになりました。

どうしていいかわからずにいたところ、たまたま地元紙で奉仕活動の団体が発足したというニュースを耳にしました。地域の清掃活動をしたり、献血の促進活動をしたりします。早速、入会を決め申し込み手続きをしたところ、そこには地元の名士といわれる人がたくさん参加していました。その中に、たまたま地域の活性化をしている方がいて、ダイちゃんのお話しする機会がありました。「八丸さんといったね。あなたの話を、私の所属している団体で話してもらえませんか?」こうして、八丸さんに初めての講師の依頼が来ました。

講演の当日、八丸さんは、町の中を走るウエディング馬車パレードをやりたいという、自分の思いを必死に伝えました。参加者は、みな興味津々で話しを聞いてくれました。そして、講演が終わると、びっくりするくらいの拍手が、いっせいに沸き起こりました。みんなが八丸さんの夢に関心を寄せてくれました。参加者の多くが、これからの地域の活性化をどうするか、まじめに考えている地元の人たちばかりでした。八丸さんの発想に、驚かない人はいませんでした。

しばらくして、八丸さんに地域団体の方から連絡がありました。「盛岡をどう活性化するか、私たちはずっと考えてきました。その結論は、三つのキーワードにまとめることになりました。それは、『盛岡』『観光』『馬』です。この三つの中で、私たちは、馬のことがまったくわかりません。地域の未来のために、是非協力していただけないでしょうか?」八丸さんがお願いしたいことを、反対にお願いされることになったのです。「こちらこそ、なんでもします。私とダイちゃんにできることなら、何でもします!」「それで、実は…馬車ってどうかなって、思っています。八丸さんは、馬車を持っているんだよね」「はい、持っています」

「地域を活性化するためには、他の地域ではやっていないことをする必要があるんです」「はい、私もそう思います」「町の中心部を走る『定期運行馬車』ができないかと思っているんです。それをダイちゃんにお願いできないだろうか?」「す、すごい!『定期運行馬車』ですか!…やります!」「いろいろ難しい問題もある。でも、私たち全員で力を合わせれば、必ずできます。町中の人たちと一緒に協力し合えば、定期運行馬車だって必ずできると信じています。」「…できます!…できます!…ううう…」また、八丸さんの目が真っ赤になって、涙があふれてきました。

一方で牧場作りもゆっくりではありましたが、確実に前進していました。それまでは知人の牧場に預けていたダイちゃんですが、いよいよ手作りの馬小屋も完成し、自分達の牧場で飼うことができるようになりました。定期運行馬車については何度も打ち合わせしまいた。八丸さんは、馬のこと、馬車のことを、何回も何人もの人にたくさん話しました。

そんな頃、たまたま警察官の中本さんから連絡がありました。「八丸さん、ダイちゃんは元気ですか?盛岡の警察本部に帰ってきました。何かできることはありませんか?」「あります!あります!」八丸さんは、中本さんのところに飛んでいって、定期運行馬車という夢の話をしました。「地域の未来を担うというのは、私たち警察官にとっても大切なことです。私も是非お手伝いしますよ」「本当ですか!?」「安全であるためには、何もしてはならないのではなく、地域の未来を担うことを安全に行えるように支援することが、私たちの役目ですから。任せてください」「…ううう…」また、泣きました。

そして、社会実験として、町の中をダイちゃんの馬車が走るというニュースは、地元紙の一面を飾りました。ダイちゃんが走るコースまで詳細に紹介されました。実験の当日は、たくさんの人がダイちゃんのまわりを取り囲み、まるでお祭りのような盛り上がりになりました。そして起業家大学で知り合えた大切な仲間達も、大勢駆けつけてくれて、まるで自分のことのように喜んで下さいました。そしてダイちゃんの馬車を引く姿は、さまざまなマスコミに取り上げられました。町の反応は、予想をはるかに超えたものでした。85%の人が、“是非実現したい”、と言ってくださり、“ないほうがいい”、と言った人は、ほとんどいませんでした。

渋滞の問題も、コースをうまく設定すれば、ほぼ解決することができました。それでも、車が馬車の後ろにつくと、ゆっくり走らなければならないことに変わりはありません。馬車の後ろについてゆっくり走らざるを得なくなった、ある運転手は、アンケートに対して、次のように答えました。「この町で、急いでどうするんだ」こうして、八丸さんとダイちゃんは、自分たちの夢を超えた、地域の将来を担う定期運行馬車の実現に向けて着々と準備が進んでいます。

皆さん、これを読んでどのように感じたでしょうか?八丸さんの熱い思い(夢)が馬のダイちゃんを救い、いわて起業家大学の仲間達の心を動かし、やがては盛岡市民、岩手県民の心まで動かしてしまったのです。八丸さん、これからも夢に向かって頑張って下さいね♪

『夢しか実現しない』 福島正伸先生のブログ 今すぐ見たい方はクリック!


12月21日(金)ある女性の夢 その1

ここ最近は年賀状関係の仕事(授業)が多く、つい先ほど出張先から帰宅したばかりです。明日はお天気が良いようで…。午後からこれまた年賀状関係の出張講習(仕事)が入っていますので、午前中で行ける近場の山へ行って気分転換を図りたいと思っています。やはり週に一回は思いっきり山を歩いて命の洗濯をしたいですしね♪

本日はいわて起業家大学で知り合ったHさんの「馬のダイちゃん」について語りたいと思います。Hさんは、私の数年後の後輩に当たりますが、いわて起業家大学で何度かお会いしたことがありますし、彼女の熱意には目を見張るものがありました。「実現不可能と思えることでも、本人の気持ち次第で夢は実現するものだなぁ~!」って感動させられました。彼女の行動力と熱意、ホント起業家の見本だと思います。

皆さんは、馬車馬のダイちゃん、ご存知でしょうか?盛岡市内をパレードしたあの馬のダイちゃんです。地元の新聞やテレビにもたくさん紹介されましたし、ご存知の方も多いと思います。ご覧になった皆さんは、華やかなシーンしか印象に残っていないかもしれませんが、実はそこに至るまでの過程は、血の滲むような数多くのご苦労があったのです。私が言いたいのは、「熱い思い(夢)は叶う!」ということ。以下、その当時のいわて起業家大学のメイン講師、福島正伸先生のブログ「夢しか実現しない」よりご紹介(抜粋)させていただきます。ここに登場するHさんも岩手県警のNさんも皆さん、いわて起業家大学の仲間なんです。自分のことのように嬉しく思っています。

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私が講師をつとめた「いわて起業家大学」は、全国に先駆けて始まり、10年間に渡って開催されました。約半年間の及ぶ講座にもかかわらず、参加者は約1000名におよび、最後の一年間だけでも200名以上が参加されました。その中から、100名以上が創業しています。「いわて起業家大学」の特徴の一つに、最終回のプレゼンテーション大会があります。事業プランの発表会であるにもかかわらず、会場は感動の嵐となり、司会を務める私はいつも涙を流してしまいます。その理由は、そこに人生のドラマがあるからです。その中から、今回は一つのドラマを紹介したいと思います。文字数の関係で、二回に分けてお送りいたします。

【馬のダイちゃん】<第一話>
ある高原の乗馬クラブが閉鎖されることになりました。20頭以上いた馬は、次々と売却されていきました。その中に買い手の見つからないダイちゃんという馬がいました。ダイちゃんは唯一の馬車馬(ばしゃうま)でした。馬車を引くことだけがダイちゃんにできることで、他に何の役にも立ちません。引き取り手が見つからないのも当然です。どうしても買い手が見つからなければ、処分されてしまうかもしれない。そんな時、馬の面倒を見てきた八丸さんは、自分が馬を買いたい、と会社に申し出ました。はじめは断っていた会社も、その熱意に打たれ、破格の値段で売ることにしました。

しかし一方で、八丸さんにとっては、全財産を失うことになりました。その後のダイちゃんの飼育費や自分自身の生活費などを考えると、どうしていいかわかりません。ダイちゃんをどこかの牧場に預け飼育管理を委託しても、飼育費だけで年間100万円以上かかります。会う人、会う人に相談しました。必死になって、ダイちゃんの生活場所を探しました。

たまたまそんな時、以前から付き合いのあった獣医さんから、ある農場で馬車を引く若い馬を探しているようだ、という情報を得ることができました。すぐさま連絡を入れると、すぐに牧場の方がダイちゃんを見に来てくれました。「一円も要らないから、飼ってほしいんです。ダイちゃんが元気でいてくれたら、それだけでいいんです」なんと、その農場でダイちゃんに仕事をしてもらうかわりに、面倒をみていただけることになりました。さらに、たまたま人材が不足していたため、八丸さんも同じく農場で働くことができることになりました。馬の仕事ではありませんでしたが(ダイちゃんの世話をすることはできませんでしたが)、同じ敷地にいるというだけで、とても幸せでした。

そして約二年間、そんな生活が続いた頃、たまたま以前の会社でお世話になっていた先輩が、乗馬クラブを作るという知らせを聞きました。お会いしたところ、次のようなお話をいただくことができました。「立ち上げスタッフになってくれないだろうか?ダイちゃんも連れてきたらいい」八丸さんは、飛び上がるほど喜びました。 八丸さんは、ダイちゃんのためにと、がむしゃらになって働きました。しかし、ダイちゃんには仕事がありませんでした。馬車を引くという仕事が、立ち上げたばかりの牧場にあるはずもありません。

「何とかしたい…」とにかく会う人、会う人に相談しました。すると、たまたまある友人から、県が地域を支援するために作った産業振興センターという、ところがあると聞き、とにかく行ってみることにしました。そこで、勧められたのが起業家大学でした。八丸さんはここでさらに、人生の転機となる人と出会うことになるとは、その時はまったく思っていませんでした。八丸さんの事業は「ウエディング馬車」でした。とにかく、ダイちゃんにできることを事業にしようとしているだけです。事業の見込みなどまったくあるはずもありませんでした。

八丸さんは意を決して、勤めていた牧場を辞めることにしました。自分のすべての時間をダイちゃんのために使うためです。まずは中古で売りに出ている馬車を探したり、どこかに使っていない馬車がないか問合せをしたりしました。 八丸さんの意を決した行動を、批判する人もいましたが、“そこまで本気なら”と、応援してくれる人もいました。ところ、たまたま遠く離れた山梨県で一台使っていない馬車がある、という情報を得ることができ、以前勤めていた牧場の社長から八丸さんに連絡がありました。「山梨にボロボロの馬車があるようだ、破格の値段で売ってくれると言っているよ。興味あるかい?」「あります!どんなにボロボロでも構いません。本当にありがとうございます」八丸さんは、喜び勇んで購入を決めました。そして、以前勤めていた牧場の社長が修理に力を貸してくれました。

 同時に、八丸さんは自分達の念願の牧場作りをスタートさせるべく、まずは理想に近い近隣の休耕農地をあちこち探し始めました。また、ウエディング馬車の仕事をするために、会社を作ってはみたものの、受注はまったくありません。“早くなんかとしないと…”気ばかりが焦ります。こうなったら、できることは何でもやろう、と思いました。東北地方にあるすべてのホテルに、電話をかけました。「ウエディング馬車は、いかがですか?」「ウエディング馬車…?」「これからやりたいんです。どこまでも行きます」 「興味がないね…」冷たく言われて、切られてしまうことも何度もありました。それでも、すべてのホテルに電話をかけ終わったころには、パンフレットを送ってもいい、というホテルを20社ほど見つけることができました。

八丸さんは、一生懸命に作った手作りのパンフレットを送りました。しかし、一社も反応がありません。「どうしたらいいんだろう…やっぱり、事業にはならない…」日増しに、そんな思いが強くなってきましたころ、先に申し込んでいた起業家大学が始まり、八丸さんは藁をも掴む思いで参加しました。起業家大学に参加した彼女は、まわりの参加者に言いました。「ウェディング馬車のパレードをやりたんです。町の中をパレードしたいんです」「何のために?そんなことして、何の役に立つの?ビジネスになるの?」彼女は、はっきりした答えもないまま、ただ必死に答えました。「馬のダイちゃんのためなんです…ダイちゃんは、馬車を引くことしかできないんです…ウェディング馬車しか、思いつかなかったんです…」

彼女は、提出した事業計画書のはじめに、思いをつづった長い手紙をつけました。起業家大学の講師は、その手紙を読んで、彼女の強い思いに感動しました。そして、何とか彼女を応援したいと思い、最終回に行われるプレゼンテーション大会の発表者に選びました。発表会でプレゼンテーションするためには、他の参加者の前で練習をしなければなりません。彼女が始めて、その発表の練習をした時のことです。

八丸さんは、ダイちゃんの写真を持ってきて、みんなに見せました。発表の練習には、他の受講生もみんなで、どうしたら事業になるか、一緒に考えます。受講生の中に、中本さんという現職の警察官がいました。中本さんは、冷ややかに言いました。「そんなこと、まず警察が許可しないよ」冷静で、太い声でした。見た目もちょっと迫力のある中本さんの、この一言は、彼女に大きなショックを与えました。「ウエディングだろうが、なんだろうが、町の中を馬車が走ることなど、警察が許さない。何か問題が起きたら、誰が責任を取るんですか!?あなたに責任が取れますか?…考えが甘い!」 彼女の目から涙が溢れ出し、みんなの前で嗚咽して泣き出しました。

しかし一方で、彼女の純粋な思いに共感した人たちもいました。「なんとかなるよ…」「あきらめないでがんばろうよ…」そして、本番のプレゼンテーションでは、ダイちゃんの写真を何枚も見せながら、彼女は精一杯訴えました。講師の助言で、事業計画書の内容を説明するのではなく、事業計画書に添えた手紙の内容を、そのまま発表することにしました。

その手紙 ~たった一人の戦い~何が何でも成し遂げると決めた私のある決断!

私は当時、ある高原の乗馬クラブのスタッフとして勤務しておりました。銀座のOLから転身して、大好きな馬連に囲まれ、四季の移り変わりを味わいながら、自然の中で楽しく仕事しておりました。そんな私には、ちょっとした夢がありました。乗馬クラブには、二十頭の乗馬用の馬と、ただ一頭の馬車馬がいました。その馬車馬の名前は「ダイちゃん」。八百kgもある大きな体と、力強さ、迫力とは反対に、愛卿たっぷりの大きな目、強い好奇心、いたずら好きな性格は私を魅了してやみませんでした。

馬車に乗った子供達や家族連れは、あっという間に「ダイちゃん」のファンになってしまいます。当時、馬車営業はGWや夏休みのシーズン、祝日をからめた連休などに行われ、観光客に喜ばれました。時にはTVの撮影に応じたり、安比のペンション街を、花嫁花婿を乗せてパレードしたり、そんな仕事も担っていました。当時、六十代の専門職のおじさんが、「ダイちゃん」のボス(調教師)でした。おじさんがひと声、合図を出すと「これから仕事だな」とわかるらしく、何だかダイちゃんもピシッと引き締まります。それまでは放牧場で勝手気ままにしていたのに、おじさんが近寄ると、ダイちゃんの気持ちが切り替わるのです。おじさんが、当時の私の「師」でした。見よう見まねで、私も馬車に関する知識と経験を体得していきました。「いつか御者(馬車を操縦する人)になって、ダイちゃんと?緒にこうやって安比高原を馬車遊覧して、お客様に喜んでもらいたい!」そう強く思うようになっていました。

おじさんも、事あるごとに、「オレはそろそろ引退しようと思っているから、後はお前に頼むぞ。」と言っていました。今の馬車アシスタントから「御者になる」ということ、そしてダイちゃんと、ずっと一緒に仕事をしていくんだ、ということが私の夢となり、大きく膨らんでいきました。ダイちゃんは仔馬のときに会社が購入し、安比にやってきた馬でした。私がずっと世話をしてきました。私が26歳のときでした。本当にそれは突然でした。今思えば、とてもその出来事が、自分の人生に大きく影響を与えたなと思います。

会社からある発表がありました。来期から乗馬クラブを廃止する、という正式決定を受けて、今後の対策を来期に向けて早めてくれとのこと。いわゆるリストラです。よくあるリストラです。私たち自身の衝撃もはかりしれませんでしたが、すぐスタッフの頭をかすめたのは馬達をどうするのかということ、でした。誰か買い手を探さなくては、貰い手を探さなくてはと、それはそれは必死でした。いくらかでも馬たちにとって、幸せな将来が約束されている条件で行く先を決めるのは、私たちスタッフの最大の責務でした。

とてもとても悲しい仕事でした。馬たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。車が来て馬を積んでいきます。来る日も来る日も、別れの日が続きました。どの馬にも色々な思い出がありますから、それが一気に頭の中に沸き起こるわけです。スタッフの中で私が一番、年齢が若かったのですが、毎回胸を割かれる思いで、涙をおさえるのがやっとでした。こうして、馬がどんどん減っていきました。そんな中、ダイちゃんだけが行く先も決まらず、会社にとっては悩みのタネでした。乗馬用の馬は、あちらこちらの乗馬団体に移っていきましたが、ダイちゃんだけは貰い手も買い手も決まらず、中に浮いた状態でした。

そりゃそうです。 馬車をひく馬が欲しい、なんて人にめぐり合うのは万に一つの確率です。何も馬車をひくだけではなく、人が乗ることも出来るのですが、今度は乗馬用としては「大きすぎるねえ」と言われてしまう始末です。いよいよ馬の行き先を決定するという、締め切りの日が間近に迫ってきました。 こうなると会社は、「いよいよとなったら処分場行きかな…。」とにおわしてくる訳です。私の中では、マグマのようなものが確かに動き始めているのがわかりました。「絶対殺させない、殺させるもんか」と。

それならいっそ、私が会社から購入して、私が引き取る、私がなんとかする、細かいことも具体的なことも、何ひとつ決まってないし、わからないけど、絶対他人には渡さないと、強い決断をしたのです。それまでただ悶々として、自分の非力さ、何もしてやれないことへの苛立ちでグチャグチャでしたが、「ダイちゃんを守る人は、私しかいない。」と使命感を感じました。何があっても、誰に何を言われても、されても、私は成し遂げると決めたのです。そして上司に思いを告げました。 案の定、思った通りの反応をしてきました。「嫁入り前の娘が、八百kgの馬なんか所有したら、これからどうしていくんだ?」「一時的に気持ちが高ぶっているだけだろう」馬を手に入れたところで、どこで飼って、誰が毎日世話をするんだ?」「どこかの牧場に預けたとしても、一ケ月の管理代なんて、お前に払えないだろう」もう、それは予想通りでした。そしてまた、その通りでした。そもそも会社は、ダイちゃんにはまだまだ残存簿価が結構あるので、売るとなっても金額的にも「値がはる」と言ってきました。

それはちょっとした、中古車が購入できるぐらいの金額でした。当時の私にはそれが最大の問題でした。会社が提示しているお金を持ち合わせていないのです。 これじゃ話になりません。でも私が何とかしなかったら、処分場行きはほぼ決定です。どうにもこうにも他の選択肢がありません。随分追い詰められていました。全て頭打ちで、お金も無ければアイデアも無く、八方ふさがりでした。勇気を振り絞り、親にも相談しましたが、言わずと知れた予想通りの返事でした。今になってみると、彼らの心情も理解できますが、その時の私には、他の皆が鬼に見えました。きっと感情的になっている私に、頭を冷やして欲しくて、良かれと思って言ってきたのだと思います。

私は表しようの無い、孤独感と怒りとやるせなさを感じていました。ダイちゃんを救いたい、助けたいという気持ちだけだと、だめなのかなあ、使命感だけじゃダメなのかなあ、でもこの戦いから降りるわけにはいかない?!私の最大の武器は何だろう、考え続けました。<第一話>終了 続きは明日の日記にて!


12月20日(木)今年一年を振り返って…

今年も残すところ、僅かですね!今月12月1日で私の会社「パソコン&アウトドアスクールむげん」が7歳の誕生日を迎えました。創業して早7年目、月日の流れるのは早いものです。よくまぁ~7年間も頑張ってこれたなぁ~!っていう思いでイッパイです。

生徒さん始め、むげんを応援し続けてくれた山仲間、友人、知人、そして母や兄弟に心から感謝したいです。生徒さんや友人知人による口コミ紹介やネットの威力もあってか、現在では生徒数も250名に膨れ上がりました。ありがたいことです。心からお礼申し上げます。

私はこの仕事を天職だと思っています。元来、私が知っていることを人に教えて喜んでもらえることに生甲斐を感じていましたし、いろんな人と接せることが出来るのも魅力です。毎日が変化に富んでいて仕事(授業)をしていて楽しくてたまりませんです♪

生徒さんも10代から80代、またパソコンの活用の仕方も人様々で年々多様化しています。完全マンツーマン授業にこだわったのが正解だったように思います。パソコンの授業だけでなく、いろんなお悩み相談やグルメ相談、日本酒のこと、山のことなどなど、生徒さんたちと情報交換できるのも楽しいです。日本一喜ばれるスクール目指して今後も邁進したいと思っています。

さて、今シーズンはここ岩手に来てから早10年、久しぶりに沢登り、頑張りましたぁ~♪今年の遡行本数は20本、内単独遡行は10本。難易度はともかく、新規の沢へもたっくさん行けましたし、仕事も山も充実した一年だったように思います。特に夏から秋にかけて仕事がとっても忙しかったのですが、よくまぁ~これだけ山へ行けたなぁ~!って感心しています。東京にいた時は、年間50本以上も沢に行っていた私、それを考えれば少ないのですが、ここみちのくは豪雪地帯ゆえ、遡行期間がとっても短いのですよぉ~!

9月に朝日連峰の沢を単独遡行(通常2泊3日の沢を1泊2日で遡行)、10月には飯豊連峰の沢を単独遡行、思い出に残る沢登りが出来ました♪また遡行記録がほとんどない沢へも挑戦できましたし♪ハズレの沢もありましたが、中には「これは大当たりだぞ!」という沢もありました。以下に今シーズンの私の沢の記録を記載いたします。沢登りが好きな方、ご参考にしていただければ幸いです。

来年の目標は、久しぶりに北アルプスの沢へ行きたいなぁ~♪って思っています。長野、富山、ここ岩手からはホント遠いですが、一生懸命働いてお金を貯めて、仲間を連れて行くぞぉ~!後輩達に大きな沢を経験させてあげたいですしね。それと、クライミングもこれを機会に頑張りたいと思っています。この三年間、岩にほとんど触っていませんもの。人工壁はたまに行く程度で…。てなワケで、来年も仕事に山に頑張りま~す♪(*^_^*) PS 上の写真は焼石連峰の尿前本沢にて。



12月17日(月)スーパーキッズ

15日(土)の日記に書きました「愛の募金箱盗難事件」についてですが、どうやら犯人は外部の犯行とのことです。盗難にあったことは残念ですが、犯人がクライマーでなくてよかったかな…って、ちょっと安心しました。昨日16日(日)は前日の天気予報でお天気がいまひとつ…ということだったので、午前中は近場の山へ、そして午後からはいつものメンバー四人で運動公園にてクライミングをして参りました。

来週22日(土)はコンペがあるし混んでいるんだろうなぁ~!と思って行ったのですが、なんとちびっ子達(小学生~中学生)で満員御礼状態だったのですよぉ~!この日は「ちびっ子クライミング教室」なるものが催されていたのです。講師は、私のクライミング仲間のHさんでした。「Hさん、私たちも登ってもいいのすか?」と聞いたところ、「どうぞどうぞ!酔いどれさんもちびっ子たちに教えてやって下さ~い♪」とのありがたいお言葉を頂戴いたしました。

ところが…教えるどころか、ちびっ子達の上手なこと!難しいルートをスイスイと登ってるじゃありませんかぁ~!生徒さんの多くが小学生なんですよぉ~!恐るべし…。教えるどころか私の出る幕はありません(^^ゞ。逆に教えてもらいたいほどです!講師のHさんに聞いたところ、週に2回、小学生を対象にクライミング教室を行っているようで…。かれこれ4ヶ月前から始めたようですが、その上達振りには目を見張るものがあります。

私なんぞ40をとっくに過ぎていますし、一本登ればしばらく休んで…ふぅ~!って感じなのですが、子供たちはほとんど休みなく登っているんです。その持久力と回復力には驚嘆いたしました。中学一年生のある子は、赤ルートや黄緑ルート(上級者向けルート)をバンバン登っていてビックリしました。「体重何キロあるの?」と聞いたところ「45Kです!」と。いいなぁ~!う、う、羨まし~い!

私が盛岡に来た10年前は、岩手県内でクライミングをする人はごく一部で、しかもその多くが皆さん顔見知りの中高年達でした。あれから10年、今では小学生始め、多くの学生さんたちがクライミングを楽しんでいます。時代も変わったなぁ~!ってビックリしています。今ではクライミングは野球やサッカーのようにスポーツの一つになっていますものね。本日は子供達と一緒に頑張ったせいか?かなり疲れました…。子供達に刺激されてバンバン休みなく登っていたら、ヘロヘロになっちゃいました(^^ゞ。帰る頃には腕が上がらなくなるほどに…(^^ゞ。

この三年、クライミングから遠ざかっていた私ですが、愛弟子も三人出来たことだし、今シーズンは久しぶりにクライミングに燃えようと思っています。この1ヶ月、久し振りに毎週クライミングに通っていたところ、私の心に火が着きました!昔を思い出して、今一度クライミングに精を出そうと思っています。愛弟子達に追い越されない為にも…。クライミングって、楽し~い♪早くまた登りに行きたいで~す!週末が待ち遠しいこの頃です。

そうそう、2週間前よりダイエットを始めました。ベスト体重より4キロも太っちゃってぇ~!(^^ゞ 食事は2回に制限し、間食も控えております。本当はお酒も控えればいいんですけど…(^^ゞ。まずは身軽になって、クライミングの上達に励みたいものです♪


12月16日(日)酔いどれパソコン講座 
パソコンの大掃除

本日は15日(土)なのですが、明日は多忙なゆえ、明日の分の日記も書いちゃいま~す!今年も残すところわずかになりましたねぇ~。新しい年を気分よく迎えるためにも年末の大掃除は欠かせません。これを機会に部屋の大掃除だけでなく、パソコンの大掃除もしてみてはいかがでしょうか?パソコンの動作も軽くなり快適になりますよ♪

部屋掃除の段取りとして、①まず不要なものを捨てる、②その後、整理整頓をする。この二つの作業をこなして「掃除したぁ~!綺麗になった♪」と言えるように、パソコンも全く同じで二つの作業をしなければ掃除したことになりません。それと…部屋には台所、広間など様々掃除するところがあるように、パソコンにも大きく分けて①ハードディスクの掃除②レジストリ(Windowsなどのいろいろな設定を一元化してまとめたデータベース)の掃除があります。

①不要なものを捨てる②整理整頓、この二つの作業をして、お部屋は快適になり、作業効率が上がるように、パソコンもまったく同じで、もたついていた動作が快適になり、そしてハードディスクへの負担も少なくなり、パソコンの寿命を延ばすことにつながります。わかりやすい例でいれば、本棚にたっくさん本が詰まっています。不要な本までギッシリと…。これでは読みたい本を探すのにいつも時間がかかってしまいます。そこで、要らない本を捨てて、必要な本をジャンル別に綺麗に整理整頓しました。今では読みたい本もすぐに見つけることができるようになりました♪快適さと労力の軽減、パソコンも同じなのです。

それでは実際にどのようにパソコンの掃除をすればいいのでしょうか?まずは①ハードディスク内の不要なファイルやソフトを捨てる ②レジストリ内の不要なファイルを捨てる。③レジストリ内の整理整頓 ④ハードディスク内の整理整頓、この四つの作業をして「大掃除をした!」と言えるのです。まずは順番に見ていきましょう。

①ハードディスク内の不要なファイル(データ)を削除
パソコンを使うにつれて不要なファイルはどんどん増えていきます。まずは使わないであろうファイルをゴミ箱に捨てること!そして、使わないであろうソフトをアンインストールすること!安全に不要なファイルを削除したいときに便利なのがWindowsの標準機能、「ディスク クリーンアップ」です。パソコンを使っていると、内部に日々データのゴミが蓄積されています。その結果パソコンの起動や作業がどんどん遅くなります。IEのキャッシュ、クッキー、履歴の削除、 Windowsの最近使ったファイルなどの履歴を削除、 システムのTEMPファイル、メモリーダンプやchk、古いプリフェッチの削除などなど、これら不要なファイルを一網打尽に一発で削除してくれるフリー(無料)ソフトが「CCleaner」です。外国のソフトですが、日本語対応が嬉しいですね。とても有名なソフトですし、私も愛用しています。

②レジストリ内の不要なファイルを削除
レジストリの不要データの削除に関しては、通常ではなかなか難しいと思います。Windowsを長く使い、ソフトのインストールやアンインストールなどを繰り返していると、レジストリに不要な項目が残されてしまいます。この不要項目を削除することでシステムのパフォーマンス向上につながるのですが、誤って必要な項目を削除してしまうと、最悪の場合Windowsが正常に起動しなくなってしまう可能性もありますので慎重に!万が一動かなくなった時の事を考えてレジストリのバックアップを取っておく必要があります。

私が愛用しているソフト(フリーソフト)は、Eusing Free Registry Cleaner ですが、かなり強力ですよぉ~!結構有名なフリー(無料)ソフトのようです。しかも、レジストリエントリを削除すると、その度にバックアップファイルが自動で作成されます。もし、不具合が起きた場合などで以前の状態に戻したい場合は、「以前のレジストリの復元」を クリックし、バックアップファイルを選択 → 「復元」をクリックすれば、削除したレジストリエントリを元に戻すことができます。外国製ですが、日本語表示も可能です。しかし、文字化けが…。文字化け対策パッチの入手も可能ですよ!今までは別なソフトを使用していたのですが、Vistaに対応していないことから、ネットであれこれ調べてコレを使っています。今のところ順調ですよ!

③レジストリ内の整理整頓(デフラグ)
上記①②で不要なデータは削除できました。あとはそのファイルやレジストリの整理・整頓(デフラグ)です!整頓されずにハードディスク内の空いている場所にバラバラに保存されているファイルを綺麗に整頓してくれるのがデフラグという機能なのです。これにより、ファイルの読み込みを速くすることができるのです。まずはレジストリの整理整頓(デフラグ)について…。通常のデフラグソフトではこの問題を解決できず、レジストリ用のデフラグソフトが必要です。私の所有するXPパソコンではフリーソフトで有名な「NTREGOPT」を使用していましたが、Vistaではエラーメッセージが出てきて上手くいきませんでした。で、Vista対応のフリーソフトを物色していたところ、「AusLogics Registry Defrag 」がどうやらいいらしいぞ!ということで現在使っています。英語版ですが、使い方は至って簡単ですよ!

④ハードディスク内の整理整頓(デフラグ)
最後にレジストリ以外のハードディスク内の整理整頓について説明します。これはWindows標準機能の「最適化」を利用することも出来ますが、特にXPの場合、四半世紀前の能力しかもたいないといわれ、効果のほどが疑われています。市販ソフトには優れたモノがありますが、無料ソフトのモノを二つご紹介いたします。一つ目は、「Auslogics Disk Defrag」(英語版)で、このソフトの特徴はとにかく驚くほど早い!ということです。私のVistaパソコンでは、なんと僅か16分で終了しちゃいましたよ!余計なことは何もせず、とにかく断片化したファイルをデフラグすることに特化しているようです。普段からデフラグをこまめにするわけではない人、大容量HDD所有者であれば非常に使い勝手はいいのではないかと思います。但しWindows標準のデフラグツールに比べて最適化の効果は若干低いと言われています。

二つ目は私も愛用しているフリー(無料)ソフト「JkDefragGui 」です。上記のAuslogics Disk Defragより高性能のようです(但し時間はかかりますが…)。これはJkDefragのGUI版でして無料で使えるデフラグソフト、しかも日本語にも対応♪でもって人気も高い!デフラグ作業中にも、それと並行して比較的快適にパソコンを同時に使用することができます。ここが大きな利点だと思います。上記の紹介したこれら様々なソフト(太字のソフト名をクリックするとダウンロードページへジャンプします)は、全てフリー(無料)ソフトです。よって作業は全て自己責任でお願いします。また、作業の前には現在の状態をバックアップしておくことをお奨めします。最後に「パソコンの掃除」に関してとてもわかりやすいHPを以下にご紹介いたしますね♪上記にご紹介したソフトのいくつかの使い方も記載されていますよ♪さぁ~!パソコンの大掃除をして、サクサク快適なパソコンライフで気分もリフレッシュ♪(*^_^*)

『無料ソフトでHDD・レジストリの不要データを削除しよう』 よっしーのEnjoyPCLife 今すぐ見たい方はクリック!


12月15日(土)悲しい出来事

昨日はIさんとYさんの三人でみたけの運動公園へクライミングの練習へ行って参りました。これまでは週に一回、週末に行っていたのですが、今週末はどうしても三人の予定が合わず、よって平日に練習することになったのです。ボルダリング施設には新たにストーブも設置され快適になりました♪しかし、灯油は自分たち持ち(クライマーの自腹)の為、施設内に募金箱が設置され、その皆様の愛の基金で灯油を買うことにしていたのです。

私たちも毎週行く度に100円ずつ募金をしていました。ところが、昨日、いつものように募金をしようと思ったら、その「愛(灯油)の募金箱」がいつものところにな~い!仲間三人で「あれ?どこにいったのかなぁ~?」周りを探してみたけど、見当たらないし…。

ここ岩手ではクライマー仲間はとても狭い世界ゆえ、まさか盗む人もいないだろう!そんなことでもしたら、その人は二度とこの施設に顔を出せなくなるだろうし…それこそ村八分にされてしまう。そんなバカなことをする人もいないだろう。「誰かこのお金で灯油を買いに行っている最中なんだろうか?」と思っていたほどなんです。

ところが…今朝早くにクライミング仲間のHさんより電話があり、「酔いどれさん、例の募金箱がなくなったんだけど…昨日行ったときはありましたか?」と。「いえ、私たちが行った時には、既にありませんでしたが…」と私。Hさんの話によればどうやら盗まれた可能性があるかも?とのこと。岩手にもそんなヤツがいるのか?と正直驚きました。内部の犯行か?はたまた外部の犯行なのか?何か特別な事情でもあったのか?わかりませんが、もしそれが事実だとすれば、とても残念な出来事のように思います。クライマーでないことを信じたいものです。心当たりのある方、何かご存知のお方は、県内のクライマーなら誰もが知る教育委員会のHさんまでご連絡を!

一日も早く愛の(灯油)募金箱が見つかること、祈っています。


12月13日(木)ブルー・オーシャン戦略

いやはや、ここ盛岡は凄い大雪ですぅ~!午前中一杯は材木町へ出張していまして、帰る時には完全に車が雪だるま状態でしたもの。そして、家に帰り直ぐに玄関前と駐車場の雪掻き!ひえぇ~!って感じです。一体どこまで積もるんだぁ~!(^^ゞ 昨日のことになりますが、仕事の合間を見てマリオスにて開催された『新規事業部門立ち上げによる企業成長実現セミナー』なるものに参加して参りました。だって、無料なんだも~ん!

現在本業に忙しい当社としては新規事業を立ち上げる予定はないのですが、何か参考になるお話が聞ければ…という思いで行ってきました。2時間半の講習会でしたが、とても興味深い経営戦略を拝聴でき、良い勉強になった次第です。その中で特に私の心に響いたのが『ブルー・オーシャン戦略』。恥ずかしながら、この言葉、初めて聴きました…。ご存知の方も多いと思いますが、以下にご紹介させていただきます。

そもそも『ブルー・オーシャン戦略』とは、フランスの欧州経営大学院(INSEAD)教授のW・チャン・キムとレネ・モボルニュにより、2005年2月に発表された著書『ブルー・オーシャン戦略』により提唱された戦略のことで、この本が世界的に爆発的なベストセラーとなり、今最も注目を浴びている経営戦略の一つのようです。では、『ブルー・オーシャン戦略』とは具体的にいかなる戦略なのでしょうか?以下、出版元のランダムハウス講談社のHPより抜粋いたします。

『ここでは、価格や機能などで血みどろの競争が繰り広げられる既存市場を「レッド・オーシャン(赤い海)」、競争自体を無意味にする未開拓の新市場を「ブルー・オーシャン(青い海)」と名づけています。この「競争」とは無縁のブルー・オーシャンという新しい価値市場を創造し、ユーザーに高付加価値を低コストで提供することで、利潤の最大化を実現するというのが、この戦略の狙いです。

戦略論研究の世界的権威として知られるキム、モボルニュ両氏は、過去120年間30以上の産業で輝かしい成功を収めた150の事例を研究しました。たとえば…テキサスに拠点を置く女性用フィットネス、「カーブス」。飽和状態のフィットネス業界に参入したにも かかわらず、店舗数6000店以上にまで拡大、200万人以上の会員を獲得。売上は10億ドル。リングリング・サーカス・アンド・バーナム・アンド・ベイリーが100年以上かけて達成した売上を、 「シルク・ド・ソレイユ」はわずか20年足らずで達成。イエロー・テイルで知られるオーストラリアの「カセラ・ワインズ」は、競争が熾烈なアメリカの輸入ワイン市場で急速に成長し、わずか2年で1位の座を獲得。

研究の結果、これらの成功事例からある共通点が導き出されました。すなわち、「成功する戦略の打ち手は みな、競争を無意味なものにし、無限の可能性を秘めた新たな需要を創造している」ということ。多くの企業は、「レッド・オーシャン」の中で、いかに競合他社を押さえて成功を収めるかということばかり に注目しています。しかし、レッド・オーシャンでは各産業の境界はすでに引かれており、価格競争は熾烈の度を極め、競争のルールは広く知れわたっています。競争相手が増えるにつれて、利益や成長の見通しは厳しくなっていくでしょう。ブルー・オーシャンを創造するためには、これまでとは正反対の アプローチをとらなければなりません。競合他社をベンチマークするのではなく、自らがルールをつくることで、 新たな利益機会のあるブルー・オーシャンを生み出すのです。』

昨日のセミナーで先生は、日本におけるこのブルーオーシャン戦略の代表的な成功例に任天堂「Wii」と「QBハウス」を挙げて説明してくださいました。発想の転換ともいえる驚天動地の戦略!目から鱗でした。「これからのビジネスは視点を変えて顧客満足をどれだけ提供できるか?」の時代になるんだなぁ~!と痛感させられるセミナーでした。まずは既成概念を打破する思考力を養いたいものです。元来、私は人と争うのが嫌いなタチですので、もっとブルーオーシャン戦略を勉強した~い!と思い、さっそくこの本をネットで購入しました。読むの楽しみで~す♪任天堂「Wii」と「QBハウス」のブルーオーシャン戦略の成功例の詳細を知りたい方は、以下リンクをクリック!

『任天堂「Wii」を生んだブルー・オーシャン戦略とは?』 日経ビジネス 今すぐ見たい方はクリック!
『QBハウスのブルー・オーシャン戦略』 ITpro 今すぐ見たい方はクリック!


12月11日(火)ガリバーの精神

『ガリバー』、(株)ガリバーインターナショナルが運営する中古車買取の会社で、ここ盛岡市内にも何件かあります。私は時々「ドリームゲート」というホームページを見るのですが、起業家必見のHPです。ためになることが数多く書かれているんですよぉ!本日拝見したところ、ガリーバの社長、羽鳥兼市氏のインタビュー記事が掲載されていて、思わず釘付けになっちゃいました。

高校生起業家から一転3億円の借金。どん底から這い上がった男、羽鳥社長。ガリーの成功例は、よく経営セミナーで聞かされていたのです。他の真似の出来ないシステム(特に査定)が成功の鍵だったように思います。しかし、それだけではなかったことを、社長のインタビュー記事を読んで納得しました。

羽鳥社長は、1994年10月、ガリバーインターナショナルを設立。旧態依然とした中古車市場を誰からも信頼される業界に改革を目指し、買い取り、販売につきものだった不透明なイメージを払拭し、「いつどの店舗でも公正な価格を表示してくれる」という安心感をつくり出すことに成功。社員数約2000人、連結売上高約1800億円の一大企業を築き上げたお方。 以下、HP「ドリームゲート」より、その一部をご紹介させていただきます。

『当時の拠点、富田店は、私とスタッフひとり。商談ルームの壁を目立つようにと派手な黄色で塗って、裏手にあるオフィスの壁には、「1999年12月31日までに全国500店舗達成」「グループ年商2500億円達成」と書かれた張り紙を張って、毎朝ふたりで唱和し続けましたよ(笑)。命を賭けてもやり遂げる。そんな覚悟がみなぎっていました。

そして1995年8月、私たちは東京への進出を始めるのです。ここからが、私の流通革命の始まりです。5年後までに北は北海道、南は沖縄まで、500店舗の拠点をつくることを目標とし、1999年にクリア。2003年8月には東証1部市場に上場。そして、現在の当社取り扱い台数は約28万台ですが、2011年までに50万台、最終的には100万台を取り扱うことが当面の目標ですね。』

~ 羽鳥社長、これから起業を目指す人たちへメッセージ~

『夢やゴール、起業は継続が大前提ですから通過点でもいいのですが、明確なイメージは持っていますか。起業とは命を賭した自分との戦いの連続です。あなたが思い描くそのイメージを実現するために命をかける覚悟がないなら、起業するべきではありません。私は、この事業をかたちにするために一瞬一瞬を大切に、そして命がけで挑戦し続けていますから。もうひとつ、強い夢は必ず実現するということもお伝えしておきたいです。

-略- 周囲への感謝の念なくしては、続けられるわけがありません。そして、命を賭けて成し遂げるという思い。やけどするくらいなら止めておこうなんて考えでは、何事もうまくいかないのです。もうひとつは強いイメージ。-略- 繰り返しになりますが、強い夢を持って、命がけでその夢を育てること。そして日々、感謝の念を忘れなければ、夢は必ず叶います。応援者が必ず現れますから。

これを読んだとき、私は、中田英寿(プロサッカー・W杯日本代表選手)の言葉を思い出しました。強いイメージ(夢)を持つことがどれだけ大切か!成功者の共通点だと思います。以下、ご紹介いたします。

ワールドカップを、憧れの場だなんて思わないで、『いつか、自分がプレーする場なんだ』と、
そんな風に考えて日頃プレーをしていけばいいと思う。

参加することに意義があったフランスワールドカップ、勝つことが目標であった
日本でのワールドカップ。目標を高く設定することで、結果はまるで違ったものとなった。
  
子供の夢も同じなんだと思う…

『もうワールドカップは、夢じゃない』 『いつか自分でプレーするフィールドの一つにすぎない』
そんな強い自信を持って望めば、夢は必ず叶う。
          
-ワールドカップを目指す子供たちにむけて- 中田英寿

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12月9日(日)岩手山

本日は岩手山を登って参りましたぁ~!今朝は5時半に目覚ましを掛けて、7時には登り始める予定だったのですが、最近めっきり寒くなったせいか?目覚ましを止めて寝てしまったようですぅ~!(^^ゞ で、目が覚めたのが7時ちょい前!ヒェ~!慌てて支度をして朝食を食べて出発する私…。結局登り始めたのは8時半でした。午後1時には仕事があるので、それまでに帰宅しなければなりません。よって、12時頃には下山しなければならないのですよぉ~!

寝坊さえしていなければ、八合目までは登れるなぁ~!って思っていたのですが…。登り2時間半、下りは1時間見ることにしました。2時間半、つまり11時になったら下山を開始しよう!と心に決めて出発!果たしてどこまで登れるかなぁ~?登山口の駐車場に着いてビックリ!車が10台ほど停まっていたんです。ということは、トレースはあるな!ニヤリ♪トレース(踏み跡)があるのとないのとでは労働力が雲泥の差なんです。山友会さん、ありがとうございま~す!

今の時期、これほど人が入ることは珍しいことです。トレースもバッチリ付いていて楽チン♪快調に登るものの、6合目で時間切れ!下りは走って丁度1時間で駐車場へ!予定通りに下山できました。あと40分もあれば8合目まで登れたのになぁ~!今日のお天気じゃ、どうせ山頂は無理でしたしね。

予想以上に雪が少なく登り下りとも、アイゼン・ピッケルを使うまでもありませんでした。でも、下部樹林帯では膝上までのラッセル跡がありましたし、トレースがなかったら、六合目までも行けなかったでしょう。無積期ですと八合目の小屋まで1時間半で登っちゃうのですが、雪があると結構時間がかかるんですよねぇ~!本日はお天気はいまひとつで、ガスがひどく、また4合目から上は時折雪や強風が吹いて…。でもね、一瞬でしたが、日差しが♪ひと時でしたが白銀の世界を垣間見ることが出来て、いがったぁ~!いやぁ~!とっても綺麗でしたよぉ~♪

今回は旧道ルートを登りました。新道はトレースがなかったので…。何はともあれ、よい気分転換が出来ましたぁ~♪(*^_^*) 「酔いどれ画像掲示板」に本日撮影した写真を8枚掲載いたしました。ご興味のある方はご覧下さいね。

『酔いどれ画像掲示板』 岩手山 今すぐ見たい方はクリック!


12月8日(土)素足の
天才クライマー、ユキちゃん4歳♪

ここ最近(1ヶ月以上前になるかな?)クライミングの生徒さん(弟子)が三人も出来ましたぁ~♪週に一度、みたけの運動公園で指導させていただいております。皆さん、この日をとっても楽しみにされているようで…。生徒の皆さん、とってもやる気満々で、その熱意に圧倒される私…。ここしばらくクライミングから遠ざかっていた私の心に火を着けてくれました。

その火付け役は何といっても、ユキちゃん4歳です♪とってもクライミングが大好きで、ほとんど休みなく(2時間)登っているんですよぉ~♪そして、毎回レベルアップの凄いこと!今では、ハイステップやカウンターバランス、キョン足の技を使っているほどなんです。まだ4歳ですよ!子供の順応力って凄いですねぇ~!ママさんもクライミングが大好きで、ママさんの影響がとても大きかったようですが、親子共通の趣味を持つって、素敵ですよね♪

ユキちゃん、とってもベッピンさんで可愛いのなんのってぇ~♪以前はクライミングシューズを履いて登っていたのですが、どうも靴擦れをするようでして…。最近は裸足で登っています。ユキちゃんにとって、裸足の方が登りやすいようです。頑張れ、ユキちゃん♪(*^_^*)

親子でクライミングをするようになってから、親子関係が今まで以上に円満になったとかで、とても感謝していただきありがたいことです。思わぬクライミングの効用で嬉しい限りです♪何はともあれ、その調子で親子仲良く頑張ってもらいたいものです。ママさんもユキちゃんも、とっても頑張り屋さんなんですよぉ~!さすが親子ですね♪ユキちゃんは、葉っぱ集めも大好きで、運動公園の周りの枯葉をイッパイ集めてプレゼントしてくれる優しいお子さんなんですよ♪

私自身、夏の間、沢三昧でクライミングから遠ざかっていましたし、体重が増える一方でして…。体が重いのなんのってぇ~!以前は楽に登れたルートが登れなくなっちゃっていました…(^^ゞ。でも、初級者にはまだまだ指導できるかな?って感じです。これを機会に、自分自身のレベルアップも図りたいものです。何よりも大切なことは、クライミングを好きになってもらうこと!その一言に尽きると思います。その道筋さえつけてあげられれば、後は自助努力で、どんどん上手くなっていきますしね。まだまだ愛弟子に追い越されるわけにはいきませんので、老体に鞭打って、頑張りま~す!(^^ゞ

若者の真似をして飛んだり跳ねたりすると、筋を痛めてしまうゆえ、体をいたわりながらレベルアップを図っていきたいものです。今ではクライミングの全国大会で4位に入賞する人も出てきたようで、ここ岩手のクライミングレベルもかなり上がっています。そうそう、みたけの運動公園のボルダー施設にはなんとストーブが♪県の正式な許可を得てストーブを正々堂々と付けられるようになるまで9年もかかりました。これも一重に教育委員会で国体選手のHさん初め、岩手のクライマー達のご努力の賜物だと思います。電気(蛍光灯の設置により夜間クライミングも可能)も数年前より設置されましたし…。やっと関東と同レベルの環境になってきたかな?って感じです。

みたけの運動公園にクライミング施設が出来た当初から約三年間、私と髭のKさんの二人でルートを作ったり、ホールドを洗浄したり、施設の管理をしていましたが、今は引退して若者達に印籠を渡しています。っていうか、近年、若者を中心に皆さんレベルアップされて、私の出る幕がなくなったというのが正直なところでしょうか…。沢登りでは、まだまだ若者に負けない自信がありますが、クライミングに関しては怠けていたせいもあり、ダメですねぇ~。でも、今回愛弟子が三人も入門され、私も頑張ってみようかな?って気にさせてくれました。ホントありがたいことです。大したことは教えらないかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたしますね!酔いどれ画像掲示板に、本日撮影した写真を5枚ほど掲載いたしました。可愛いユキちゃんのアップ写真をご覧あそばせ♪とってもカワイイですよぉ~!(*^_^*)

『酔いどれ画像掲示板』 可愛い愛弟子、4歳♪ 今すぐ見たい方はクリック!


12月7日(金)パーティション

私のパソコンVista、Cドライブ47Gの内、空き容量が14Gしかなく、Dドライブの空き容量がなんと30Gもあるのです。そこでほとんど使っていないDドライブの空き容量のうち25GをCドライブに移しメインのCドライブの容量を大幅に増やしたいなぁ~!と思った私…。つまり、全然使っていない D: を縮めて C: を拡げることにしたのです。

こういった用途には「パーティションマジック」っていうソフトが昔から定番として知られていますが、結構高いしお金を掛けたくないし~!どうにか無料で出来ないものか?と思った私。で、今回はフリーソフトの「GParted LiveCD」 を使ってみることにしました。GParted はオープンソースのツールで、リナックスベースのハードディスクの容量変更が出来ます(Windowsも可能)。無料で提供されていますので、HDDの容量を変更したい方にとって非常に便利なツールだと思います。

このGPartedは、インストール不要のCD-ROMでリナックスを起動してパーティッションを操作するものですが、HPの中には「操作も驚くほど簡単!」って書いてあるものもありました。しかし、前準備が結構面倒なんです。しかも、英語版ですし…。英語の苦手な方にはちょっと敷居が高いかもしれませんが、無料ソフトですし、全てマウスで操作してHDD容量を変更する事が出来ますので魅力あるソフトだと思いますよ!

このソフトの魅力は無料ということだけでなく、パーティションのサイズを変えたり、新規にパーティションを増やしてもデータが消えることがないということです。フリーでここまでシッカリしたもの珍しいかもしれませんね。結構人気のソフトのようです。しかし、その使い方はある程度の知識がないと苦慮すると思いますし、フリーソフトゆえ、自己責任ということになりますので、必ずバックアップは取ってから作業された方がよろしいかと思います。

本日は授業の合間を見ては、ほぼ一日この作業にまい進しておりました。「失敗したらヤバイなぁ~!」と思いつつ、ドキドキハラハラしながらの作業でした。マニュアルはなく、いろんなホームページを見て参考にしながら恐る恐る作業してみた次第です。結果、大成功♪ヤレヤレ、一安心です。上記に述べたような悩みをお持ちの方、結構いるかもしれませんね!以下、私が参考にしたHPをご紹介いたします。操作はくれぐれも慎重に!やってみれば、「な~んだ、簡単じゃな~い!」と思いましたが、成功するまでは結構ドキドキでした。本日はよい勉強になりましたぁ~!これでハードディスク容量を気にせず、安心して作業が出来るようになりました♪めでたし、めでたしですぅ~♪

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『GParted LiveCD』 Vista 実験室 by まこすけ 今すぐ見たい方はクリック!
『GParted LiveCD』 まほろばパーティション操作 今すぐ見たい方はクリック!
『GParted LiveCD』 GIGAZINE 今すぐ見たい方はクリック!
『GParted LiveCD』 GParted パーティション 変更 無料ツール 今すぐ見たい方はクリック!


12月5日(水)悩みとは?

ビクター・フランクルという精神科医であり心理学者を皆さんはご存知でしょうか?ユダヤ人としてナチスの強制収容所に収容され、そのときの体験を記した「夜と霧」が世界的なベストセラーになりました。当初、彼は、フロイトの心理学によって、教育された決定論主義者でしたが、ある経験により全く逆の考え方になったのです。

フロイトの学説によると、幼児期の体験によって人格と性格が形成され、基本的に人生の行方が決まってしまうというもので、つまり、人生の限界と範囲は、その時点で定まっており、それについては基本的には何も出来ないということになってしまいます。

彼は、心理学者であると同時に、ユダヤ人でした。第二次世界大戦が勃発した時、彼はナチスドイツの強制収容所に送られ、人間の尊厳を害するような、筆舌に尽くし難い体験をしたのでした。その経験が、フロイトとは根本的に全く違う思想に変えさせたのでした。

その時の話です…。『強制収容所での生活を送った私たちには、忘れられない仲間がいる。誰もが飢えと重労働に苦しむ中で、みんなにやさしい言葉をかけて歩き、ただでさえ少ないパンの一切れを体の弱った仲間に分け与えていた人たちだ。そうした人たちは、ほんの少数だったにせよ、人間として最後まで持ちうる自由が何であるかを十分私たちに示してくれたのだ。あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。

想像を絶するほど下劣で人間の尊厳を汚す状況の中にあって、フランクルは「自覚」という人間の独特の性質を活かし、人間の本質にかかわる基礎的な原則を発見したのでした。つまり、人間は「刺激と反応の間に選択の自由」を持っているということです。刺激と反応の間に人間だけに与えられた素晴らしい力が存在しているのです。それが反応を選択する能力(自由)なのです。つまりは、私たちの人生や行動は、周りの状況からではなく、「私たち自身の選択」によって決まるのです。自分の身に何が起きるかが問題ではなく、それにどう反応(対応)するかが重要なのですね。環境や境遇がどうであれ、悲観的に生きるのも、夢を持って生きるのも、その人の「思い」(選択)次第だ、ということのようです。

以下、高木善之氏著の『地球と転生』より抜粋いたします。『他の誰かがあなたの腹を立てていたわけではない。あなたの腹を立てていたのはあなたなのだ。他人はあなたの腹を立てることはできない。あなたの腹を立てることのできるのはあなただけなのだ。あなたが「思い通りになる」と勘違いをしていた事が原因だったのだ。この事が本当に分かれば、あなたは腹を立てなくなるだろう。簡単に腹を立てるのは止めた方が良い。

悩みも同じ。自分が作り出しているだけなのだ。悩みとは何だろう?もしも「○○がない」事が悩みだとしたら、なぜそれが悩みだろうか。事実なら受け入れればいいし、受け入れるしかない。受け入れれば悩みは無くなる。もし○○が欲しいなら努力すればいい。もし手に入らなければ諦めればいい。ただそれだけのことだ。悩みは思いであって実体はない。悩みは自分の心が生み出している幻である。現実を認めれば悩みはなくなる。現実を認めた上で、諦めるか、努力するか、を選ぶだけのことなのだ。

不幸の原因はモノサシ。幸せか不幸かも自分のモノサシによって自分が決めているのだ。あらゆる不幸はモノサシによって作られているのだ。悩みは、ありもしないモノサシで自分と他人を比較していたことによって生じていた幻なのだ。もし「モノサシはモノサシにすぎない」ということが分かったならば、そして「モノサシはいらない!」と本当に決意すれば、不幸はなくなるだろう。

幸せは難しいものではない。幸せはあなたの中に常にあるのだ!あなたが変わることによって周りが変わり世界が変わる。もしも明日死ぬと分かったならば、あなたは今日一日をどう生きるだろうか…。』

PS 上の写真は、デパートの遊園地にてハンドル握って大喜びのたっくんで~す♪


12月3日(月)「山の扉」更新♪

ここ盛岡は、朝からモツモツと雪が降っています。いよいよ雪掻きをせねばならないほど、積もってきました(^^ゞ。今宵は山仲間と打ち合わせ&忘年会、う~ん、この雪じゃ…タクシー代はもったいないし、体力トレーニングを兼ねて歩いていくかぁ~!駅前の居酒屋ですので、1時間くらいかかるかな?

昨日、本当は岩手山を登る予定でしたが、前の晩(土曜日)、ついつい深酒をやってしまい、日曜日、目が覚めてビックリ!なんとまぁ~8時30分でした。この時間じゃ岩手山は無理だなぁ!しょうがない…お天気もいいし近場の山へでも行くかぁ~!さてと、どこへ行こう?で、急遽思いついた山が岩神山(1,103m)です。区界にある山で兜明神岳の北に聳える山です。

朝食を食べ、山のルートをネットで調べ、家を出発したのが9時30分でした。標高千Mもある山なので、それなりに雪も積もっているだろう!山スキーかスノーシューどちらを持参するか、迷いましたが、今回はスノーシューで登ることにしました。しか~し、登山口の駐車場に着いてビックリ!雪が、雪がまったくな~い!遠方に見える兜明神岳の山頂付近にパヤパヤと見える程度でした。

こういうこともあろうかと思い、長靴を持参しておいてよかったぁ~♪この程度の雪じゃ、長靴で充分!今回は、兜明神岳経由で岩神山を登ることにしたのです。兜明神岳は厳冬期に何度も登っていますが(というより厳冬期しか登ったことがない)、岩神山まで登るのは今回が初めて!低山であろうと、初めて登る山はワクワクしますね♪雪がなかったせいもあり、あっという間に山頂に着いちゃいました。

帰りは盛岡で初めて出来たという天然温泉、『喜盛の湯』(盛岡市南仙北1丁目18番50号)に寄ってみました。この温泉、初めて行ってみたのですが、リゾート温泉って感じ。出来たばかり(今年3月にオープン)ということもあって、とても豪華!いろんな種類のお風呂があるんですよぉ~!サウナもあるし、露天風呂もあるしでのんびりしました。平日は580円、土日祝は680円とちょっと割高ですが、それだけの価値ある温泉でした♪我が家から近いですし、なんか病み付きになりそうですぅ~!

そうそう、11月23日に行った乳頭山(岩手県側から登りましたが、深雪のため途中敗退)と、その二日後に忘年会山行で登った陸前高田の氷上山を「山の扉」にアップいたしましたので、ご興味のある方はご覧下さいね。なお、忘年会山行の氷上山のページでは、参加メンバーの方々から頂戴した写真を使わせていただきましたので、ご了承下さいませ。上の写真は昨日、兜明神岳の登りの途中で撮影したものです。

『山の扉』 乳頭山(岩手県側より) 今すぐ見たい方はクリック!
『山の扉』 氷上山(忘年会山行) 今すぐ見たい方はクリック!

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