掲載の本 |
1.あの世に聞いた、この世の仕組み 2.もっと あの世に聞いた、この世の仕組み 計2冊 サンマーク出版 |
著者紹介 - サンマーク出版より抜粋 - |
1973年、北海道生まれ。グラフィックデザイナーを経て札幌の広告代理店に入社。2004年、セロトニン欠乏による記憶障害をきっかけに突然の霊的な目覚めを体験。その経験をもとに立ち上げたブログ「あの世に聞いた、この世の仕組み」が大きな話題に。2010年、本書の前作となる著書を発表。現在は東京を拠点にブログや執筆活動、全国各地でトークライブを通じてユーモアあふれる人生哲学を発信している。温水便座の水圧を最強にして使用するのがモットー。主な著書に『あの世に聞いた、この世の仕組み』(サンマーク出版)、『極楽飯店』(小学館)がある。 |
本の概要 - amazonより抜粋 - |
普通のサラリーマンをしていた著者は、鬱病治療のためにつよ~い薬を飲んだところ「雲さん」という守護霊と会話ができるようになりました。そして、この雲さん、あの世の住民であるだけに「この世」の様々な疑問をわかりやすく明快に説明してくれるのです。ベストセラーとなった第1作目『あの世に聞いた、この世の仕組み』で、雲さんは「この世のからくり」や「苦しみが生まれる仕組み」を中心に教えてくれましたが、第2弾の本書では「さとる」ということから「輪廻転生」「アセンション」「『般若心経』のお経の意味」などを教えてくれます。あなたもこの本を読めば、「見えない世界」に関する、今までわからなかったことや、不思議だったことがよくわかり、「心の平安」が取り戻せるはずです。 |
●「○○が欲しい」という欲望は「○○が足りない現実」を作ってしまう。一方、「○○に近づいている」という自信・確信は「○○が近づく現実」を引き寄せることになる。
● 夢は追い求めてはいけない。引き寄せなさい。
● 「行動が楽しい」と感じているとき、宇宙は「楽しい仕事」を持ってくる。逆に「会社に行きたくない」と思っているとき、宇宙は「トラブル」や「ストレス」を運んでくる。
●「幸運な状況になったから幸せになる」のではなく「幸せでいるから幸せな状況になる」なんだ。
●「今の僕には○○が足りない」「△△がない」「□□できない」「だから幸せになれない」という思いが「幸せになれない」現実を引き寄せることになる。
● 本当は「足りない」なんてことないし、ダメでもない。人生を楽しむための現実は、いつだって完璧に整っているんだよ。それなのに、それを受け入れることなく別な何かを探し出すのがお前のクセなんだ。自由の思考や言動を慎重に監視してみなよ。
●大切なのは「足りないモノ」を追い求めることより「いらないモノ」を捨てること。ずっと握り締めていた「いらないモノ」を手放すことで、初めて両手が自由になんだ。
●「○○が足りない」「○○がない」「○○ない」という言葉に共通する思考は「不満」だ。読んで字のごとく「満たされていない」という思い。心が「すねちゃって」いるんだ。
●「幸せとは才能である」与えられた環境によって幸せになるのではなく、その才能に長けているからこそ、環境を恵まれたものにすることが出来る。「幸せ」という才能を仮に「音楽」という才能に置き換えて…ギター。状況と幸せは無関係。
●関心を寄せたものを楽しむこと!
●「幸せな人」は「良いと思うこと」に関心を寄せている。「不幸な人」は、「悪いと思うこと」に関心を寄せている。自分のことを「幸せだ」と思う人は「幸せ」だ。自分のことを「不幸」と思う人は「不幸」だ。まさに「思い通りの人生」じゃないか。ほら、神は全ての人の希望を、いまこの場で、そのまま叶えてくれている。人は、自分が関心を持ったものを引き寄せる。当たり前の話だね。だからほら「思考は現実化」するんだよ。
●本当は「過去」も「未来」もない。あるのはただ「いま」だけ、時間は実在しない幻想なんだ。
●幸せは「新たに手に入れる必要があるモノ」ではなく「既に手にしているモノ」、いや「おまえ自身」なんだよ。おまえが幸せを感じられないのは、ただ、自分が幸せであることを認めていないだけだ。幸せから目を背けているだけだ。ほら、自分が幸せであることを素直に認めてごらん。いいかい、おまえが幸せを見つけ出せるのは、いつだって「いま」だけだよ。
●おまえが真実に気付いたら「苦しみがある(思い通りにならない)」というそのことに、この世の存在する素晴らしさを知ることになるだろう。この世は、神があえて「思い通りにならないように作った場」なんだからね。
●この世は「神の、神による、神のための遊技場」だ。この世は「神が人間を育成する場」ではない。「神が人間として遊ぶ場」だ。
● お前が神から命を与えられ生かされているのではなく、おまえ自身が全宇宙を創造した神、その張本人だという話をしているんだよ。この世界も人間も、神の創造物であるということだ。
●神は、このとき「ゲーム」を開発したんだよ。幻想世界を作り出した本人(神)が、自らその世界に降りて遊ぶ。この世は神があえて思い通りにならないように作った場。「思い通りにならない」のは、ゲームがゲームであるゆえ。その前提は「罰」でも「更正」でも「意地悪」でもない。
●人生におけるあらゆる苦しみは、ゲームであれば「娯楽」のために必要だった要素、「自分の思い通りにならない」という不満から生まれている。だからこそ「人生は幻想である」ということを受け入れる必要が出て来るんだ。自分がゲームキャラクターではない、という自覚が必要なんだ。しかし、人間は、その自覚がほとんどない。
●ゲームの世界からキャラクターが消えて、そこでようやく我に返る。「あれ?俺、死んでないぞ!あっそうだった!ゲームしてたんだ!」って。「あぁ、畜生!最初からゲームだと分っていたら、あの時ああしてたのに!」って。ゲームをしていたという自覚を失っていたからこそ生じる後悔、未練。それが次なる人生(輪廻転生)の原動力となる。何せ神の創造したゲームだからね、クオリティーがハンパない。
●自分が幸せであることをより深く自覚する為には「幸せでない」という比較対象が必要になり、愛が何であるかを深く知るためには「愛ではない何か」が必要になる。それと同時に、神が神であることを実感する為には「神ではない何か」が必要だった。そこで神は「神ではないもの」の代わりとして「本当は神なんだけど、神ではないものということにしておこう」というイメージを形成することにした。それが「マーヤー」だ。神は人生シュミレーションゲーム「マーヤー」を開発。ネタバレを防ぐ為にゲームの第一面に「記憶喪失ステージ」を追加したんだ。
●この自己催眠プログラムによって、どれだけ上手に自分が神であることを忘れることが出来ているかが、このステージの目的。神であることを忘れれば忘れるほど、ハイスコア達成だ。
●神が神であるゆえに経験できなかった、そのエキサイティングな挑戦(ストレスの経験)こそが、このステージで求められる面白さであり、醍醐味だ。
●夢を見失い目の前に広がる世界に恐れおののき、様々な苦難を前にして、思い通りの人生を歩めていないのであれば、この「忘却ステージ」においてのゲームが順調に進行していることを意味している。プレイヤーがマリオの心配をしないように、神もまたお前の心配はしない。
●しかし、このマリオが炎に焼かれてもプレイヤーが無傷でいられるのと同じように、何があっても絶対に大丈夫だ。そんなわけだから、これからも安心して苦しみ続けなさい。
●ハート(悟り)を開くのは単にそれを閉ざしているエネルギー(恐れ、不満、不安、不信感、怒り、傲慢、罪悪感、劣等感、差別、軽蔑)を手放せばいいだけの話だ。
● その「ハートが開かれている状態」が「愛」と呼ばれるもの。「私とあなたの間に壁がない」ということは「私とあなたは同じ存在」ということ。
● 過去も未来も存在しない。時間は幻想である。『過去』があるのではなく、「記憶」や「記録」がいま存在しているのだと。『未来』があるのではなく、「希望」や「予測」、「恐れ」などがいま存在している、と。あらゆる存在は、「いま以外」に存在することはない。だからこそ、「過去」「いま」「未来」の三つは、一つの直線的な流れとして捉えるものじゃないんだ。
●「いま」はリアリティの世界にあるから経験することが出来る。その中に存在することが出来る。しかし「過去」と「未来」は概念の世界(実在しない世界)にあるものだから、経験することも存在することも出来ない。「いま」と「過去・未来」は、もともと存在する次元が違うんだ。異なる次元のものを一つの流れで解釈しようとするところに誤解が生じてしまう。つまり、「いま」は『体感(リアリティ)の次元』、「過去」と「未来」は『思考(マトリックス)の次元』といえるだろう。それともう一つ。「過去」と「未来」はどちらも『思考の次元』にあるが、それでも同軸では語れない。過去と未来は、「同時の思い描くこと」は出来ない。
●思考の流れは二つある。「いま、過去(記憶や記録)を参照する」という流れと、「いま、未来(予想や恐れ)を思い描く」というものだ。そして「時の流れ」という概念は、この枝分かれした二つの間を結んで生まれる。時の流れは、思考の次元内においてのみ存在するもので、そこに「いま」は含まれない。意識が「いま」というゼロポイントと完全に一致していると、「時の流れ」は消失する。
●「いまを生きる」というのは、「まじめに生きる」ということでも「勤勉に生きる」ということでも、「誠実に生きる」とうことでもない。観念によって固められた世界から脱して、あるがままの世界を生きるということだ。その意識状態が身についていくほど、人生は因果を越えて大きく変わりだす。
●現実想像の起点は「時間(思考)」の中ではなく、「いま(現実)」の中だ。そこでなら奇跡を受け入れやすくなる。だからこそ、「いまとともにある」という状態へ帰りなさい。五感を研ぎ澄ませて「感じる」ことに帰るんだ。わざわざ「思考にとらわれないように」なんて努力しなくたって、「感じる」ことでおのずと「いま」に帰ることは出来るんだ。「いま」にある自分を感じなさい。人生におけるあれこれを考えるより、「いま」を味わないなさい。