カルロス・ゴーン

- ルネッサンス 再生への挑戦 -

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掲載の本

ルネッサンス 再生への挑戦 ダイヤモンド社

著者紹介

1954年3月9日、ブラジル生まれ。父はレバノン系ブラジル人、母はレバノン系フランス人。エコール・ポリテクニーク(国立理工科学校)、エコール・デ・ミーヌ(国立鉱山学校)を卒業。78年、ミシュランに入社。85年、ミシュラン・ブラジルCOO(最高執行責任者)。89年、ミシュラン北米CEO(最高経営責任者)。96年、ルノー上級副社長。99年6月、日産自動車にCOOとして着任。2000年6月、同社社長兼COO。2001年6月より社長兼CEO。妻と4人の子供とともに東京で暮らす。

本の概要

カルロス・ゴーンが誰であるかは、説明する必要がないでしょう。苦境にあえぐ日産にルノーから送り込まれ、驚異のV字回復を牽引したプロフェッショナル経営者なのです。その日産の救世主ともいえる彼が、驚くべき成果を上げた自らのマネジメント手法、その背後にある経営哲学をおしげもなく公開したのが本書です。ビジネスの鉄則を教え、生きる勇気を与えるゴーン氏の渾身の作だと思います。

本書が説くゴーン流マネジメントとは何か?現場の声を聞く、コアの問題を特定する、優先順位を確立する、責任と権限の所在を明確にする、部門を超えるクロスファンクショナリティを促進するなどなど、実に基本的なことばかりなのです。でも、この当たり前のことが出来ない経営者が多いのも事実ですね。ゴーン氏にそれができたのはなぜなのか?私が特に興味を引いたのは、彼の心の強さと経営哲学、そして人生観です。この本を通じて、「何か」を感じていただければ幸いです。

はじめに

日産ルネッサンスは、変革の必要性を痛感し、進んでリスクを引き受けた人々の物語である。彼らがいかにして会社への誇りと自分への自信を取り戻したのかの物語である。生意気のようだが、どの本で会社の立て直し方を学んだかと聞かれても、書物から学んだのではないと答えるしかない。その種の本を読む必要性を感じたことは一度もないからだ。確かに他の人の仕事のやり方を知るのは興味深いことかもしれない。しかし、結局のところ自分で実際やってみることに勝る方法はない。

年月を積み重ねるにつれて、マネジメントとは職人の手仕事のようなもので、秘訣などなく、実際に自ら手がけ、試行錯誤し、多くの重要な決断を下すことによって学ぶものだという思いが強くなった。実際の経験を一つ一つ積み重ねることで、マネジメントの効果を高める基本的なツールを発見することが出来る。そして、一つ一つの問題に挑戦することで、そのツールに磨きをかけて、明晰な決断を下すことができるようになるのである。私は実地試験を積み上げてマネジメントの様々な基礎を学んだ。それだけのことである。

問題の核心を見抜く大切さ

収益の上がる会社にしたいなら、マネージャーには問題の核心を見抜く能力が不可欠である。これは私が学んだ大切な教訓の一つである。これまで経営難に陥った会社を任されたときに、あらかじめ解決策がわかっていたことは一度もない。だが、ありがたいことに打開策を見つけられなかったことも一度もない。これはひとえに、機能不全で異常としか言いようのない事態に何度も遭遇したお陰で、どんな問題でも、核心を見抜くことが出来れば解決できるという自信が植え付けられたからだろう。「解のない問題はない」という格言の正しさを経験が実証してくれたのである。

私の学生時代

ラグロヴォール神父はその後の人生にも十分通じる教訓を与えてくれた。ものごとには明晰さ、簡潔さが必要だという教訓である。また、彼は何事も情熱を持って取り組まなければ、核心に到達できないということを教えてくれた。「アマチュアは問題を複雑にし、プロは明晰さと簡潔さを求める」「まず耳を澄ませなさい。考えるのはそれからです。大事なのは、自分の考えを可能な限りわかりやすい方法で表現するよう努め、自分でやるといったことは必ずやり遂げることです

白紙の気持ちで

新しい仕事を請け負う時は先入観を持たず、常に白紙状態からはじめること。ゴーン流マネジメント・スタイルである。ゴーン氏の優れたところは、何といっても人の話をよく聞くことでした。ある日彼はこう言いました。「神は人間に耳を二つ与えたが、口は一つだけしか与えなかった」。つまり、人の話を聞くことに倍の時間をかけろという意味です。

ゴムの木の栽培リサイクルを短縮することが出来ないように、ビジネスの世界にもプロセスというものがあり、これを尊重しなければならない。プロセスの改善は必要だし、ひとつの段階を出来るだけ早く完了しようと努めるのは構わないが、一段でもおろそかにしてはならない。全ての段階を、順序を尊重し、着実にこなすことが重要である。短気を起こしてプロセスを省略すると、ろくなことにならない。重要なのはスピードそのものではない。慌てず、忍耐強く、適切なタイミングで、プロセスに必要な段階を全て踏むことが大切なのである。

アードモア工場の竜巻災厄を経て、私の心の中に確固たる信念が生まれた。リーダーは自ら現場に出て、部下を心から案じ、支えようとしていることを伝えなければならないという信念である。過酷な状況では、とくにそれが大切だ。口先で何を言っても従業員は受け入れはしない。

クロス・ファンクショナル・チームの誕生

各部署や各部門が勝手に動くという事態は、ブラジルでも何度も目にしてきた。ミシュラン北米でもこれと同じ問題が起きていた。私は職務の異なる人々を一堂に集め、それぞれ異なる観点から同じ問題や機会に取り組む必要性を痛感した。

「昔ながらのやり方や習慣」を変えるには、部門や職務の壁を越えて一堂に会する場が必要なことが明らかになった。それなしには顧客や株主を満足させる成果は生まれない。こうして誕生したのがクロス・ファンクショナル・チーム(CFT)だった。

私にはCFTが行き詰った状況や力不足の状況を打開する唯一の方法に思えた。様々な部門の人々を集めて特定の課題(例えばコスト削減、品質向上、リードタイムの短縮、収益改善など)を与えさえすれば、あとは彼らが大いに力を発揮するのをも守っているだけでいい。もちろん、しがみついた古い考えと断固闘う決意がトップになくてはならないが。部門と部門のあいだ、職務と職務のあいだにこそ未知のパワーが隠されていることがわかった。

『実行こそすべて』これが私の持論である。アイディアは課題克服の5%にすぎない。アイディアの良し悪しは、どのように実行するかによって決まるといっても過言ではない。私は社員に、以前試して良い成果を得られなかったとしても、それは必ずしもアイディアが悪かったという証拠にはならない、実行方法が不適切だったのかもしれない、と言い聞かせた。

日産が抱えている問題の解決策は社内にある。そもそも顧客の要求はクロス・ファンクショナルなものである。コストにせよ、品質にせよ、納期にせよ、一つの機能や一つの部門だけで応えられるものではない。どんな会社でも、最大の能力は部門と部門の相互作用の中に秘められている。しかし、どの会社にも害してこの隠された能力を無視する傾向にある。CFTは自然に人々が集まってくるところにではなく、職務と職務の境界線上に存在する。人々は境界上のあいまいな部分には尻込みして近づいてこないものだ。ここに人を集めるには、CFTのコンセプトを制度化して社内に根付かせるしかない。

ビジネスはビジネスの原則で

サプライヤーが効率的かつ効果的にこなせる仕事はルノー側ですべきではない。これが私が設けたガイドラインだった。サプライヤーに対して、ただ「早く、安くやってくれ!」と頼むのではなく、「我が社はこの問題を克服したいと思っている。一緒に問題解決のための仕様を決め、手順を確立したいから協力して欲しい。それが出来たら、一番良い方法で実施してもらいたい。そのための援助なら我が社は惜しまない」と頼むべきだ。私はこのような形で話を持っていけば、サプライヤーに革新的な提案を期待することも、他のメーカーで実証済みの解決策を低価格で提供してもらうことも出来るはずだと考えた。要するに、私がやろうとしたことは、長年の出入りや友好関係に基づく取引ではなく、両者が共に利益を重視するという、ビジネス原則に基づく関係への移行だった。

成長こそ社員のモチベーションを高め、進んで変化を求めさせる最も重要な要素である。何らかの高次の目的に役に立つのでなければ、社員はコスト削減などに関心を持たないだろう。ルノーの人々は成長を強く願ってこのように言った。「世界市場で闘えるプレーヤーになるチャンスをつかもう!」

燃え盛るプラットホーム

日産のように、ビジネスや事業構造がいかんともしがたいほど日本文化に絡み合っている企業が抜本的な変革に着手するには、燃え盛る甲板(プラットホーム)が必要である。自分がいま、海の真ん中に浮かぶ、火事で燃え盛るプラットホームに立っていると想像して欲しい。早く脱出しないと船もろとも海中に没してしまう。生き延びるためには、たとえ行き着く先が見えなくとも、ある方向を選んで泳ぎ出さなければならない。重要な決断を下さす際には燃えるプラットホームが不可欠である。日産はまさに焼け落ちんばかりの燃え盛るプラットホームに立っていたのである。

私は、私たち日産の人間には日産を復活させる責任があり、時間的猶予は限られていることをハッキリと口に出した。そして、復活に貢献するチャンスは社員全員にあるが、貢献したくない社員には二度とチャンスは訪れないと言い渡した。私自身も、もし一年目にゴールを達成できなければ、二年目もここにいるという保証はないと伝えた。失敗したら別のプランに切り替えればいいなどと、悠長なことを言っていらる状態ではなかったのだ。もはや私たちには「成功」という選択肢以外は残されていなかったのである。

コミュニケーション不在

日産に来た当初も、これまで通り、まずは問題の所在を突き止めるためにいろいろな場所を訪ね、無数の社員と言葉を交わした。さまざまな会合に顔を出し、求めに応じてみなの前で話をした。また、工場にも出向いて生産現場の人々と言葉を交わし、スーパーバイザーと話し、そのあとで工場の幹部と話し合った。

工場やディーラー、社内の様々な部門を回る現状把握の旅で、ハッキリわかったことがあった。それは、日産の誰もがどこかが間違っていると感じている、ということだった。そして、問題の原因は自分たちの部門ではなく他の部門にあると思っている、ということであった。部門と部門、職務と職務のつながりが、見事に断ち切られていた。各部門ごとに社員は、自分たちは目標を達成しているとそれぞれに信じていた。これは日産に限らず、世界中の危機に瀕する企業に共通して見られる問題であった。誰もが目標を達成していると思っているのに、会社の状態は悪い。誰もが、自分個人の仕事は、あるいは自分の部門で取り組んでいる仕事はうまくいっていると感じ、全ての問題の責任は他の部署や部門にあると思い込んでいる。これが日産の姿だった。会社の置かれた状況に責任を感じている人はひとりもいなかった。これが危機意識に欠けていたことの一因だった。

それと同時に、重要な問題が浮かび上がってきた。社内で起きていることをマネジメント側が正確に把握していないという問題だった。問題を見極め、明確かつ妥当な優先順位を確立する能力がなかったことを物語っていた。彼らは瑣末な問題も大きな問題もいっしょくたんにした。ダイヤモンドも石ころもいっしょくたんにして同等の重みで扱っていたのである。加えて、社員の多くは意思決定のプロセスを知らされず、日産では物事がどのようにして決まるのかを知らなかった。彼らには絵の一部しか見えていなかった。トップ・マネジメントが行った意思決定の背景や理由を知らされることがなかった。従業員とマネジメントの間に双方向コミュニケーションがほとんど存在しなかったのである。

トップの責任

私はマネジメントの責任とは、会社が持つ潜在能力を開発し、それを100%具現化することだと考えている。マネジメントは会社に関わり、会社が置かれている状況に関わるものだ。マネジメントの仕事は、会社と社員のために、会社の能力を最大限に発揮させることにある。出来るだけ明確なガイドラインを示し、重要度に従ってやるべきことの優先順位を決めることだ。こうすれば社員にも物事がはっきりと見え、効果的な行動を取ることができる。

日産の社員の多くは、私がなぜ会社運営のあらゆる面にそこまで首を突っ込むのか戸惑っていた。しかし、私はミシュラン入社当初に工場で働いた時の経験から、マネジメントが会社現状を詳細に把握していなければ会社を正しく導くのは難しいと思っていた。

私は人からもらうデータや情報だけに依存するつもりはない、と全社員に言った。現状に関する情報を社員からじかに仕入れたいと思っているからだ。正しい方向に向かっているかどうか、適切な判断を下しているかどうかを確認するためには、明確な全体像が必要なのである。ところが私のような考え方に戸惑う人も多い。そういう人は、「普通、社長はそこまで細かいことにはこだわらないものだ」と言う。しかし、私は、危機的状況にある会社には社長が知らなくてよいことなど一つもないことを示したかった。社長たる者、顧客満足や価値創造に関わる全ての事柄について、仕事をスピードアップさせる機会や仕事を妨げる障害の全てについて知っていなければならない。大切なことは、正しい道筋と方向を示すこと、そしてガイドラインを定めること。

優先順位の混乱

日産は一般管理部門でかなりの経費節減を行っていた。中でも、人事や通信などの分野では過度の削減を強いている印象を受けた。削減策の多くは周辺分野だった。日産は細かな部分であれこれと経費削減に努めていた。エグゼクティブ経費にもメスが入れられ、たとえば海外出張時にビジネスクラスを使うのをやめたりした。社内でも紙や事務用品の節約を呼びかけ、冷暖房も過度の使用を控え、夕方ある時刻以降休止する措置まで導入した。

こうした措置は、実際には社員に罰を与えているだけで、本質的な問題解決につながるものではない。暖房の設定温度を一度下げるのは、コスト削減のための優先順位設定からの逃避である。冷暖房費を削減するのもいいが、問題の核心に手をつけないのなら、いつまでたっても財政難から脱出することは出来ない。

優先順位を定め、それに従って行動すべきである。どこに問題の核心があるか知るには、損益計算書を見なくてはならない。調達コストが総コストの60%を占めているなら、まずその分野を優先順位に従って徹底的に分析しなくてはならない。問題を認識し、原因を突き止め、それから初めて削減計画の作成に取り掛かることが出来るのである。

経営トップは責任を持って、優先順位が正しく守られるようにしなければならない。優先順位を正しく設定し直すためには、プラニングを中央集権化すること、実施に対して明確な責任系統の確立をすること。社員全員が一点のあいまいさもなく、誰が意思決定し、誰が実施責任を負うのかを分かっていなければならない。この二つ目のステップについて、日産ではマネジメント側の思考様式を変える必要があった。以前は、誰が責任者か、誰が担当しているのかが明確になっていなかった。戦略は往々にして漠然としており、寄り合ったメンバーは自分なりの仕方で戦略を解釈し、自分なりのやり方でそれを実行していた。

ビジネスの原則に立ち返れ

私が業績不振の関連会社の社長交代を口にすると、かなりの抵抗に遭った。しかし私は、考えなければならない唯一の価値は「貢献」であり、全員が同じフィールド同じルールで走り始めるまでは改革を続ける意思を明確に示した。

社長であろうと平社員であろうと、過去にどんな地位に就いていようと、過去にどんな業績を上げていようと、そんなことはまったく関係ない。私自身についても同じ事で、日産に価値をもたらすことが出来なくなれば、その時が会社を去るときである。会社にどれだけ貢献できるか!それが全てである。

関連会社の社長が結果を出せなかったら、責任を取ってもらい、結果を出せる人間と交代するというのがビジネスの世界のやり方だ。これまでの日産のやり方とは違うかもしれないが、競争力を回復させたいのなら、意思決定はビジネスの原則に基づいて行わなくてはならない。

痛みを先送りにするな

私たちは三年計画の目標のNRPを発表した。工場閉鎖は発表から一年後に着手した。私たちは一年目の目標、二年目の目標、三年目の目標を明確に打ち出した。私たちは一定の成果を自らに課し、その成果が一つでも達成できなかった場合は退陣を覚悟で臨んだ。私たちは、必達目標を設定した時点で、痛みをともなう決断を下さざるを得ないことを知っていた。

断固たる決意が人を動かす

これまでの教訓から、痛みをともなう決断を下さざるを得ない時は、速やかに決然と行う方が望ましいことがわかっていた。避けて通っても痛みを長引かせるだけだ。問題解決に責任を負い、あいまいさを排除した言葉で今後の手順と期待できる効果を説明することが出来れば、人々は自己犠牲を払ってでも理解を示し、ついてくるものだ。日産の危機はこの私の信念を裏付けるものだった。彼らは強力なリーダーシップを求めていた。

ある年配のサプライヤーの社長は、自分の会社も打撃を受けることになるのを認めたうえでこう語った。「日産が再建に成功しなければ、私たちは生き残れません。今回の新しい計画(NRP)に勝る計画はありません。これまで日産がやってきたのは、先延ばしと弱体化につながる対策だけでした。私は日産に対して強い尊敬の念と忠誠心を持っています。私はベストを尽くしてゴーンさんに協力し、支援していこうと思っています。日産にはぜひ立ち直って欲しい。そのためなら喜んで犠牲を払うつもりです」と。

ぬるま湯に浸かって死を待つのか

購買担当CFTとの話し合いで、私はこうたずねた。「我が社が払いすぎていることは明らかだ。なぜそんなに払うことになったのだろう?」これまで購買を担当してきた人々の「今までこの価格でやってきた」という反論に対して、私はこう言った。「過去にどうやってきたかはどうでもいいことです。私が聞きたいのは、これからどうするつもりかと言うことです」よりによってわざわざ高い価格で購入するという矛盾の一因は、サプライヤーの数が多すぎる点にあった。日産の購買コストの実態を購買担当者に見せる時でも、過去のやり方を責めたりしなかった。むしろ、これからどうすべきかを重視する方向で議論を進めた。そうすることで、購買と言う仕事が、購買部門とエンジニアリング部門の共同の仕事になった。実際のところ、エンジニアの協力がなければ、購買担当者だけでは何を買うべきか決定できないのである。

日産には従来のサプライヤーとの関係を見直すという選択肢しか残されていなかった。購買コストが総コストの60%を占める現状ではなおさらだった。系列会社との関係維持が大切だとする意見が出た時、私は即座に「根拠は?」とたずね、会社が倒産の危機に瀕していることを訴えた。赤字と負債の海に沈んだ日産では、経営トップから工場労働者まで、ひとり残らず失業の瀬戸際に立たされていた。この状況で何を優先すべきか?長年取引してきたサプライヤーとのぬるま湯のような関係の維持か、日産の救済か?マネジメント側から見れば答えは明白だった。何度も繰り返したように、マネジメントの仕事は優先順位を決定し、それに従って、どんな痛みを伴おうとも解決策を見出すことにあるからだ。

めざましい成果

NRPで作成した目標には、全て具体的な数値目標と、グローバル規模でその達成に責任を負うものを定め、明確な責任体系を作った。また、目標達成の期限を厳守すべくデッドラインを設定し、迅速に決断し遂行せざるを得ない状況に自分たちを追い込んでいった。何よりも重要だったのが計画の遂行である。ある指標がしかるべき水準に達していなければ、いち早く対策を講じた。のんびり三ヶ月ごとに集まって進み具合を点検するなどと言うやり方は許されなかった。こうした点検作業はシステマティックに行われ、全社の隅々まで行き渡った。特に重要な目標については、進捗状況を逐一全社員に知らせた。NRPはあらゆる分野で徹底的に実行に移され、どの目標も、設定された期限あるいはそれ以前に達成された。

2000年度の成果を発表した際に、私は次のように述べた。「日産リバイバルプランは、知りえる限り日産の歴史始まって以来、最高の財務実績をもたらしました。日産は復活したのです。営業利益も三倍を超え、負債額は過去15年で最低水準を記録しました。NRPは着実に実行に移されました。私たちは自ら成し遂げた成果に刺激され、さらに前進しようとしています」

イノベーションの源泉

日産に来る前に、日産とルノーの文化衝突に手を焼くだろうと多くの人に警告された。しかし、私個人は文化衝突についてはまったく心配していなかった。私は一貫して、文化の相違は前向きな機会として利用できると考えてきたし、文化的相違はイノベーションをもたらすと確信しているからである。このように考えるようになったのも、いろいろな国でさまざまな文化環境を体験したからだろう。

医学や科学の世界で画期的な発見がもたらされたのは、人々が普通とは異なる何かに気づいたからである。発見は予想もしない何かを観察することから生まれた。好奇心が旺盛な人なら「違うのはなぜだろう」と問いかけるだろう。予想したものと実際に見たものの相違が、発見とイノベーションを生み出す。

フランス人と日本人が互いのやり方を理解すれば、体験から多くのことを学び、それぞれのやり方に賞賛と敬意を表し、互いに高め、豊かなものにしていく機会を手に入れることが出来る。

いずれにしても、何事も相手を尊重することから始めなければならない。常にまず、チームを組んだ人間が有能で、仕事についての知識も豊富だと考えて接するべきである。これが出発点である。ルノーで私と一緒に日産に出向く人を選んだ時、私は彼らに、日産と日産の人々に敬意を持ってほしい、そして日本人はなぜ違うやり方をするのかを時間をかけて考えてほしい、と伝えた。もちろん、これには忍耐が必要だが、相違点を認識し、分析し、理解して、そこから学ぶことが出来れば、文化的に豊かになることができる。文化的に豊かになれば革新的なマネジメントや改善が誕生し、誰もが恩恵に浴することができる。私の経験では、企業の持つ、あるいは育む最も大切なものはモチベーションである。モチベーションは会社の全てを左右する。

松村日産取締役副社長の言葉:リストラというと、人員削減や資産売却と同意語と考えがちですが、私は、カルロス・ゴーンが社員の思考や行動をリストラ、つまり再構築したと思っています。実際、その成果は社内のいたるところに現れています。これが彼の最も優れた業績と言えるでしょう。

思考様式を変える

これまで私は常に、引き継いだ時にそこにいた人々と仕事をするように心がけてきた。就任したとたん人事を一新し、「さあ、心機一転新しいチームで出発しよう」などと言ったことはこれまで一度もない。首をすりかえるより人々の思考様式を変える方が、私のやり方に適っているからだ。

全て明るみに出す

危機的状況下では、互いに隠し立てすることなく相手に誠実に接しなければならない。見えないところ隠したりせず、問題を真正面から受け止めることが大切だ。さもないと、後戻りして振り出しに戻ってしまう。

不誠実に問題を隠そうとすれば、解決するどころか悲劇を繰り返すことになる。問題は表に出し、議論し、解決策を見つけなければならない。これが私が日産に来て最初にやったことである。私は問題の原因に対する私の見方をみなに話した。問題は進歩への機会になる、ひとつ残らず石をひっくり返して日産の隅々まで拡大鏡のもとにさらさなければならないと主張した。

人々が問題について包み隠さず話したがらないのは仕方がないことだ。何か変化が生じた時に自分が犠牲者になるかもしれないと思うからである。経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイスの言葉は、まさに沈滞している企業の雰囲気と状況を端的に言い表している。「考え方を変えるか、あるいはその必要がないことを証明するかという選択を迫れらた場合、ほとんどの人は証明する方に飛びつくものだ」

強い人材の作り方

私は日産の最も優れた強みは人材だと考えている。彼らには誇りがある。ルノーとの提携調印に見られるように、勇気と先見性を備えている。そして、会社を困難から救い出し、再び競争力のある強い会社へと作り替えるために貢献し、奮闘し、見事な成果を収めている。それが出来たのは、みずから高い目標を掲げ、自分で自分にプレッシャーをかけて働いているからだ。確信を持って断言するが、他人からプレッシャーをかけられたときよりも、自分で自分を駆り立てる時の方が、人は遥かに大きなことをやってのける。

「君には立て直す力があるはずだ。行って立て直してこい。助言が必要なら私はいつでもここにいる。しかし、君なら何をすべきかわかっているはずだ」これは人を動かし、会社を率いる方法として、実に適切な方法である。

戦略を中央集権化し、ガイドラインや基準を確立し、重要な目標を明確に示し、長期目標を立てる。この作業が終わったら、しかるべき担当者を選んで、あとはそのチームにバトンを渡して走らせればいい。いちいち口を出したり、覗き込んだりしてはいけない。彼らの仕事は彼らに任せ、業績だけをフォローする。少しでも道からそれた時は、修正できるように手を差し伸べる。しかし、普段から彼らにつきまとって時間を浪費してはいけない。自分たちで解決する猶予を与え、彼らを信頼することだ。単刀直入に接し、ずばり大きな事を要求する。これが目標達成を促す最良の方法である。

経験の心理的時間

最も過酷な状況でどのように対処したか。これが人物評価の有効な方法の一つである。困難を極めた状況を上手く切り抜けたことができたなら、その人の能力は実証されたとみてよい。重視すべきは年齢や経験ではなく、貢献度と業績の卓越性である。もし「管理職年齢」というものがあるとすれば、それは勤続年数ではなく、経験の密度、さまざまな状況下での貢献度、とりわけ困難な状況下での貢献度に基いて判断すべきである。

困難な地に赴く機会を与えてくれる会社で働けば、密度の濃い時間を経験することが出来る。その経験は、その人の能力を高め、最高の責任を果たすのにふさわしい人間へと成長させてくれるだろう。

親として

子供には子供の言い分があり、言いなりにならないものだ。親はこの点を肝に銘じて振る舞わなければならない。子供たちは親の所有物でもペットでもない。彼らはれっきとした人間であり、親には彼らを育て、やがて家を出て行く時期が来て人生を歩みだす時のための準備をしてやる責任がある。

子供たちに自分と同じ信念や価値観を期待することは出来ない。むしろ、子供たちが次第に自分自身の人生を求め、探求していくように導くべきである。旅立つときに、子供たちが優れた判断力を発揮できるかどうかは、ある意味で育て方の問題である。

子供たちの将来について言えば、私は彼らが無事成長し、自分らしく育ってくれることを願っている。彼らに願うのはそれだけである。私たちのようになってほしいとか、私たちが考える理想の人物、あるいは彼らが考えているかもしれない理想の人物になってほしいとも思っていない。彼らに言いたいのはこれだけである。

「私たちは見たとおりの人間であり、完璧な人間ではない。私たちはたまたま君たちの親になったが、出来る限り君たちを導き、助けようとしている。君たちはいつの日か独り立ちする。私たちは、その日のために自分を伸ばしてほしいと思っている」唯一私を失望させることがあるとしたら、それは彼らが能力を充分に発揮しなかった時である。私は彼らが能力を100%発揮してくれることを願っている。

私の闘いは、これから始まる

日産はER(緊急救命室)から回復室へと移ったが、いまだ完全に回復したとは言えない。私は患者の体温や脈拍、血圧などをチェックし、治療の成果を確かめ、健康な体に戻す医者のようなものである。死に瀕すれば、生活を大幅に改善し、生きることにとって重要なことと些細なことをはっきりと見抜くことが出来るようになる。日産の人々はまさにそのプロセスを歩んだ。彼らは生き延びるために必要なことを見抜き、重要なことと些細なことを区別し、一連の優先順位を確立した。

私は数多くの困難な決断を下さなければならなかった。私は三つを最大の目標に掲げ、いずれかひとつでも達成できなかった場合は責任を取って日産を去ると決心した。トップに立つ人間が究極の犠牲を払うとしたら、「この目標を達成できなければ辞任する」という言葉しかない。私がこう言ったことで結果的に、私の日産に対するコミットメントはかなりの信頼性を獲得した。「果たして本当に日産を復活できるのだろうか?」という人々の懸念や懐疑的な見方を、完全に払拭するには至らないまでも、ある程度抑えることは出来たのである。そして、私たちはいま、まさに復活の途上にある!

どの会社だろうと、本来の責任をおろそかにしている経営者を見ると私は不愉快になる。私は常に自分の責任を忘れないように、自分にこう言い聞かせている。「任務を忘れるな。任務を忘れたら仕事をする意味がない。自分の仕事に集中できなければ、何の成果も得られず、信じてくれる人々を裏切ることになるだろう」

編集後記

一体どこまでこの不景気が続くのだろうか…?と思われる昨今。でも、この不景気の中でも、確実に業績を伸ばしている会社があるのも事実です。経営状態の問題は、一概に環境や景気など外的要因とばかり言えないでしょう。ゴーン氏の言葉を借れれば『困難の原因はいつもその企業自身の中にある!』なんですね。

当時瀕死の状態にあった日産でさえ、ゴーン氏の指揮のもと、大きく成長したのです。彼の一番の功績は、社員の「思考」や「行動」を再構築できた点だと私は思います。私にとってこの本は、「思考」が変れば「行動」が変り、そして会社も大きく変わるんだ!と痛感させられた一冊でした。ゴーン氏の意志の強さと実行力、スゴイですね!特に私が印象に残っている言葉は…「どんな問題でも、核心を見抜くことが出来れば解決できる!」「問題は進歩への機会になる!」です。皆さんはどのように感じられましたか?

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